海外ビジネスに関連するコラム

コマツのグローバル人事戦略 第1回

普段着のグローバリゼーション

コマツ 顧問 日置政克

 


グローバリゼーションというカタカナ英語はいつ頃から使われ始めたのだろうか?それを考えさせられたエピソードがあった。

2004年の秋だと記憶するが、大阪で開いた株主懇談会での出来事。株主懇談会とは、地域の株主にコマツの現況を説明するIR活動の一環として、この数年前から始めたもので、この時梅田のホテルの大きな会場は満員となった。余談だが、この株主懇談会に出席した株主は、ほとんどが年配のコマツの株式を長く保有している、文字通り安定株主と言える人たちだった。

 

グローバリゼーション=国際化?

 

H副社長(当時)の滔々たる説明があって、(これは、決してお世辞とかではなく、説明の上手さに加えて、彼の話は独特のリズムを持った名調子なのだ)、そのあと質問もたくさん出て、良い雰囲気のうちに懇談会は終わった。出口にいた私に年配の女性が寄って来て、「ところで(おにいさんとは呼ばれなかったが)、会社のお偉い方が、説明で何度もグローバリゼーションと言っていましたが、あれはどういういう意味なのでしょうか?」と尋ねた。「それは、会社の事業の「国際化」という意味です」と答えて、「ああそうですか」と話は終えたのだが、ふと、そういえば以前は、「国際化」だったということを思いついた。それに類することを、IMDのテュルパンさんと高津さんの最近の本の中に発見して、わが意を得たりという感じだった(ドミニク・テュルパン 高津尚志「なぜ、日本企業は「グローバル化」でつまずくのか」 日本経済新聞出版社)。 それから、私にとって「グローバリゼーション」の伴侶である研究社の新英和中辞典(1987年、第5版第5刷)には“globalization”の単語はない。あるのはglobalとglobe。その次の単語はglobefish、フグ。そうかフグはglobefishというのか、私はblowfishを使っていたことを思い出した。

一般的に、日本語を英語に置き換えるとなんとなく格好よく聞こえる。経歴というよりはキャリア、勤め人というよりはサラリーマンとか・・・。しかし、この「グローバリゼーション」は、国際化ではなくカタカ英語化することによって、かえって意味を歪めるというか、あえてハードル高くしてしまったのではないだろうか。「生き残りをかけてグローバル化せざるを得ない」、「グローバル化を余儀なくされた」…、グローバリゼーションの語には、まなじりを決して突撃する悲壮感さえにじみ出ているように思える。

私がコマツ(当時は、前株 小松松製作所。1991年の創立70周年の時にコマツということにして、世界中の社員がKOMATSUというようになった。これも、グローバリゼーションのおかげである)に入社したのが1975年(昭和50年)。この時期コマツは十分に「国際化」していた。その10年前の中学生の時に、「天然資源がない日本は、資源を輸入して製品を輸出する加工貿易の国である。世界の共通語は英語。だから、英語の勉強が必要だ」として、12歳の時から、私の田舎の常陸国でも、全員が都と同じ教科書を使って英語を勉強し始めた。この時のわくわく感は今も忘れない。これはある意味ですごいことだ。「この国の人たちは、こんな小さいときから国際化に向けて準備をしている」と、80年代初めに米国人の友人が驚いていたことを覚えている。

 

日本の文化に根強い「ウチ」と「ソト」

 

話をコマツ入社時に戻して。入社2年前の1973年に第一次オイルショックが起こり、原油価格は一挙に4倍になった。文字通りショック、国自体は苦しんでいたのだが、一方コマツは産油国にて巨額のオイルマネーで潤い、それがインフラ整備に投資され、大量の建設機械を輸入することになり、コマツの大型機械を作る大阪工場は当時フル生産。売上げの6割が海外で、風が吹けば桶屋がもうかるような好況だった。輸出による国際化のピーク時だった。ゆえに私と同期入社した仲間の中には、多く海外に出てマーケティングをしたい、機械のサービスをしたいという希望を持ったのが少し大げさに言えばゴロゴロいた。私はというと、海外のマーケットはこれから「後進国」が中心だと言われているので、「私は、国際化は結構、日本の工場で頑張りまーす」ということで、石川県小松市になる粟津工場に配属され、人事屋の道をスタートすることになる。

しかし、いま考えてみると「後進国」は、ひどい言葉ですね。そういえば、70年代、石川県は「裏日本」の一部だった。後進国は、後に「開発途上国」、「新興国」に取って替わられるわけだが、こうした言葉づかいの裏に、日本の文化に根強い「ウチ」と「ソト」という差別的、厳然たる区別があって、これがもしかしたら、いわゆる「グローバリゼーション」を実態より、はるかに難しい問題にしてしまっている感じがする。

 

ビジネスにおけるグローバルリゼーションとはなにか?

 

そもそも、ビジネスにおけるグローバリゼーションとは、ビジネス上の強みを持って海外へということだから、親譲りの無鉄砲なものではなく、最初からアドバンティッジを持っていくものだ。特に、コマツのような製造業は、「モノ作り力」そのものが世界中でシェアできるはずである。チームワークで一緒に働くこと(協働)、働く場の共有、オフィスと現場間の垣根の低さあるいは風通しの良さ(同質化する職場)、これらのモノを作るベースは、万国共通に働く人たちにとって好ましいものであるはずだ。数日前にラジオを聴いていたら、JOC名誉委員の岡野俊一郎さんが「異文化ではなくユニバーサルな文化を作る」と言っていたが、まさにそうで、グローバリゼーションとは、同質あるいは類似の文化を作ることで、異文化の“異”を強調するものではない。異文化という言葉がそもそもおかしくて、世界は多文化なのである。私たち日本人が異文化という時、“心地よい”ウチ(日本)と“居心地の悪い”ソト(外国)という図式を作ってしまってはいないだろうか。

80年代半ばから、90年代半ばにかけて駐在した英米での仕事と生活は本当に楽しかった。世界中のコマツに友人がたくさんできた。会社生活を終えた今これが最大の財産になっている。少なくとも私にとって、グローバリゼーションは特別のことではなかった。「普段着の」という所以である。

 

日置政克

コマツ顧問
日置政克

1975年東京大学卒業。同年、小松製作所入社。粟津工場総務部勤労課を皮切りに、人事部人事課、人事部人事企画課など、主として人事畑でキャリアを積む。英国コマツ株式会社、小松ドレッサーカンパニー(米国)と、海外経験も豊富。02年に広報・IR部長、03年に人事部長、04年に執行役員人事部長となり、08年より常務執行役員。2012年4月より社長付に2012年7月より顧問に就任。
 現在はグロービスでの講演など幅広い分野にて活躍中。

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