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バラガンだらけなイスラエル 第6回

ユダヤ宗教祭から見る食文化

イスラエル在住  水谷徹哉

 

「過ぎ越しの祭り」(Pesach)

当地ではつい先日、ユダヤ3大宗教祭の一つである「Pesach」(Passover)を迎えました。この宗教祭は日本語では「過ぎ越しの祭り」と訳されます。本記事が掲載される頃には終わってしまっているのですが、今回は当地の宗教祭やそれにまつわる食物規律、また、当地にて一般的に実践されている「コシェル」(Kosher)というユダヤ教の食物戒律の一部について紹介してみたいと思います。

 

その前に、日本には国民の祝日として様々な名称のものがありますね。例えば先月の3月は「春分の日」という季節の変わり目を祝う祝日がありました。今月(4月)は「昭和の日」として昭和時代の国家の発展を顧みる祝日があります(29日そのものは故昭和天皇の誕生日でした。)。5月はまさにゴールデンウィークをなす休日として、日本国憲法の制定を記念する「憲法記念日」や、「みどりの日」、「こどもの日」等々があり、それら祝日の名称や種類は様々です。

 

一方、当地イスラエルでは、我が国とは異なり、年間をとおした国民の祝日は、そのほとんどがユダヤ教の祝祭に因んだもので構成されています。唯一の例外としてイスラエル国家の誕生を祝う「独立記念日」が4月か、若しくは5月にあるのみとなっています。何故それらは4月なら4月、5月なら5月に固定しないのでしょう?それは、ユダヤ暦法である太陰暦を基にした太陰太陽暦にて計算され、実際の季節とのずれが補正された日付であるためにあります。よって、日本や欧米のように毎年固定した日付にて祝日が発生する訳ではなく、常に数週間の前後が生じてしまうのです。実際、昨年の「過ぎ越しの祭り」は3月末にきましたが、今年は4月の中旬に実施されています。

 

この祭りの由来は、旧約聖書にある「出エジプト記」に基づきます。エジプト人の奴隷であったユダヤ人の先祖が,モーセに率いられてエジプトを脱出したとき,神はエジプト中の初子(ういご)を殺したものの,ユダヤ人は家の入り口に小羊の血を塗ったことから、彼らの家だけは過ぎ越したという故事に由来しています。その折、彼らにはイーストを入れてパンを発酵させ焼くだけの余裕がなかったことから、現代の今、これに想いを馳せるため、約一週間続くこの祭りの期間、イースト菌を使用せずに焼かれた「マツォット」と呼ばれるパンを食べることが習慣となっています。


 

小麦製品がスーパーから無くなる

面白いのはこの期間、イーストや小麦粉が使用された加工食品等の全てが、食卓どころかスーパーからも姿を消してしまうことでしょう。例えばパンはもちろん、パスタ、ビールといったものまでもがスーパーの棚から取り除かれるか、もしくは白いビニールシートが被せられ、購入不可となります。一方、お米やとうもろこし等、その他の穀物は普段どおり入手可能です。ということでお米が普通に入手できるこの期間、当地にお住まいの日本人の方々の食生活にはあまり大きな影響はないのかもしれません。筆者個人に関して言えば、パンやパスタが大好きで、その上ビールは毎日不可欠な人間であるため(笑)、正直のところこの時期はあまり楽しい時期ではありません。とは言え、ビール等は祭りの前に買い置きをすることで対応可能ではあります。あまり大きな声では言えませんが。


 

さて、この麦芽を主原料とする加工食品がこの期間食べられなくなる、というのはこのPesachというお祭りの期間に限っての話なのですが、ユダヤ教には年間をとおして守らねばならない食物戒律があります。冒頭でも触れましたが、これを「コシェル(Kosher)」と呼び、これに沿わないものを、Non-Kosher、あるいは「タレフ(Taref)」(Pesach期間においては「ハメツ(Chametz)」)と呼びます。


 

肉と乳製品を混ぜるのはタブー

食べてはならないものとして代表的なものにはまず豚肉があります。これは「蹄が分かれていること」と「反芻する」ことの2つの条件を満たす4つ足の動物しか食してはならない、という解釈に基づき、豚は不浄な生き物とされているからによります。その他には、エビや牡蠣、イカ、タコなどの魚介類も「タレフ」の部類に入ります。これらは日本では居酒屋メニューでは定番のモノばかりだけに、日本人には若干キツイかもしれませんね。

 

またこの食物戒律には食事の調理法にもさまざまな規定があり、その一つとしてよく知られるものは、「肉と乳製品を一緒に食してはならない」、というものです。分かり易く説明すると、例えば「コシェル」のレストランに食事に行くと、仮にそこが肉料理を出している場合には、チーズ・牛乳等の乳製品を使用した料理やデザートは一切ありません。牛肉のクリームシチューや、肉とクリームベースのカルボナーラのようなパスタは完全に御法度ということになります。また、デザートにもチーズ・ケーキや、牛乳が使用されているチョコレート系のものもダメ。多くは無難なフルーツ風味のシャーベットなどが出されたりします。

 

では、読者の方々に問題です。イスラエル国内のマクドナルドに行ったとしましょう。そこでチーズ・バーガーは食べられるでしょうか?答えはズバリ、「No!」です。乳製品であるチーズと肉加工品であるハンバーガーが一緒にされるのは典型的な「Taref」となります。因みに、ここで出されているアイスクリームやシェイク等のデザート類は、ミルク代替品をベースに作られており、乳製品とほぼ変わらない風味を保ちながら、「コシェル」として販売されています。しかも、味は決して悪くありません。


 

以上は「コシェル」世界のほんの一部を紹介したに過ぎません。我々日本人には一般的にはあまり聞き慣れない言葉でもあり、馴染みが薄いかも知れませんが、イスラム教の食物戒律である「ハラール」(許された食品)と「ハラーム」(禁じられた食品)との比較において見てみると、より理解がし易いかもしれません。東南アジア、とりわけインドネシアやマレーシア等に商用や旅行にて行かれたことのある方々にはお馴染みの食習慣ではないでしょうか。例えば、双方には豚肉を食さないという共通性もあります。一方で、対称的なものとしては、飲酒は「ハラーム」な行為となりますが、ユダヤ教では大丈夫です。イスラエルはワインが美味しい国でもあり、当地に暮らす筆者としては非常にありがたい限りです。


 

寛容な食文化

と、ここまでの説明では「コシェル」があたかも当地では標準的な食生活のような印象を持たれるかも知れませんが、決してそうではありません。世俗的な食生活に許容的なイスラエル人は多数おり、そのような人々が大多数をなすテル・アビブのような都市では、豚肉を入手することは決して困難ではありませんし、肉料理と乳製品を同時に出すレストランも少なくありません。既述のマクドナルドにしても、チーズバーガーを普通に販売している「Non-Kosher」支店があったりします。加えて、当国人口の2割以上がアラブ系市民で構成されてもいるため、仮にPesachの最中であっても、彼らが経営するお店やレストランに行けば、普通にパンやパスタの購入も可能です。

 

もちろん、馴染みの無い方にとり、これらを完全に理解することは難しいかもしれません。こういったものを実践されるかされないかは別にして、少なくとも基本的なことを知っておいて損をしないことは間違いないでしょう。ひょとしたらハイテク関連の業種にお勤めの方々には、今後当地にいらっしゃったり、また当地からのお客をもてなす機会もあるかもしれません。また米国や、シリコン・バレーのようなユダヤ人が多く活動する地域に行くこともあることでしょう。そんな折、ユダヤ人相手の商談の対応することになったとして、たとえ先方が全く気にしなくとも、こちらが「コシェル」に何らかの理解を示すことは、相手に好印象を与えることは間違いありません。私の知る限り、当地のビジネスマンの多くは、日本のことを我々日本人が想像する以上に学習しているのですから。

 

水谷徹哉

イスラエル在住
水谷徹哉

名古屋大学卒業(修士)。在イスラエル大使館専門調査員(05’)、JICAパレスチナ事務所企画調査員(12’)。計10年間日本国政府ODAによる対パレスチナ支援に従事する。主にガバナンス分野における国際機関経由、またJICA技術協力案件の実施管理を担う。2013年よりイスラエル国Galilee International Management Instituteに勤務。主に日本向けのコンテンツの開発等を担当。