海外ビジネスに関連するコラム

ベトナム・ハノイ工場立ち上げ奮闘記〜契約から本格稼働まで〜 第1回

予定外の通訳から始まったベトナムへの道

元某自動車パーツメーカー ベトナム法人副社長 石井希典

 

はじまりは、唐突だった。


「ベトナムで工場をたちあげてみる気はないか?」。昨年(2012年)9月、異業種交流会の懇親会でのこと。主催していたコンサルタントからのオファーだった。
数週間後、自動車部品メーカーのC社社長と初顔合わせ。生粋なエンジニアであり、他社
では、できないものを作ってゆきたいというスタンスを持ちながら、海外進出に投資をすることで、企業を成長させたいと、熱心に語る経営者としての視点に共感。11月中に、一緒にベトナムに行くことで、参画すべきかの結論をだすことにした。

2012年11月20日 ベトナムへ出発


そもそも、ベトナムというと、どのようなことを思い浮かべるだろうか? 
自分自身、訪問する機会に恵まれなかった国だ。
1、共産党一党独裁の社会主義国家(これは調べるまでもないとは思うが)
2、南北に細長い国で、ハノイとホーチミンの間、フライトでも2時間かかる。この二都市間は1400kmも距離がある。
3、日本より狭い国土(約90%)に9000万人ほどの人口がある。平均年齢は24歳。若い国だ。大卒の初任給は$300位から。
4、中国問題のリスク分散を行うために、人件費の安いベトナムへの日本企業進出がつづいている。
5、日本からの経済援助も、継続的に続き、国家間としての関係は良好
6、一方、最終消費地としての今のベトナムは、商品によっては、大きな市場ではない。確かに、9000万人程度の人口は、かなり多い。ただ、平均年齢が、24歳代で、大卒の初任給が$300程度だと、個々人の可処分所得は、まだまだ少なく、コンシューマーマーケットの市場形成には、全般的に時間が必要だろう。ましてや、自動車需要の喚起は、まだまだ先と思われる。
そもそも実質GDP成長率 5-6%台では、一時期の中国のように一気に市場が拡大するとは、考えにくい。

いずれにしても、すべて机上の理解である。
上記、いくつか並べてみたが、そもそも、自分がベトナムで暮らせるという自信を持てなければ、工場立ち上げは無理だ。個人的には、生活環境をチェックするという点も、重点項目におき、ベトナムへ出発した。

ハノイは、若々しく活気のある街。第一印象は強烈だった。


C社社長に同行する形で、11月20日より23日の日程で、ベトナム、ハノイへ。社長等とは、ノイバイ空港で待ち合わせた。自分を誘ったコンサルタントも一緒である。




とにかく街には、人があふれていて、若い人が目立つ。活気のある街だ。多くの人は、残念ながら、裕福な生活をしているようには見えない。でも、今の生活を楽しみたいというスタンスを肌で感じる。また、ベトナム語のイントネーションの影響もあるのだろう、彼らの会話自身は、とても元気で、ややもすると、自分には、口喧嘩をしているのか?とすら、聞こえる。この根っからの元気さは、今の日本にはないかもという強烈な印象を持った。


全体的に見ると、1960年代から70年代前半の 今ほど豊かではないが、とにかく元気だった東京にタイムスリップしたような感覚だ。この後、ハノイで出会う数多くの同世代日本人が同じ認識をしていた。埃っぽくて、ごちゃごちゃしているのだが、妙に懐かしさを覚える時がある。特に、旧市街を中心に再開発のされていない地域は、素朴さの中に、古き良きノスタルジーを感じたりする。個人的には、自分が幼少期に育った吉祥寺の雰囲気とでも言うのだろうか。そんな感覚を持った。もちろん、ハノイ西部を中心に、再開発が進んでおり、そのエリアがビジネスや生活の中心になってきている。その古い街角と新しい開発の推進状況自身が、当時の日本とダブルのだ。


ただ、日本との最大の違いは、そのバイクの多さ。交通ルール無視の走りをする人も多いので、かなりの頻度で事故を目撃する。そもそも、無免許で運転している人も多く、交通ルールの徹底が進んでいない。空気も悪いので、正直、家族とともに、赴任をして、ハノイに妻と子供を住まわせたいとは、思えなかったのは、残念なところだ。




文才のない自分には、自分が受け取った強烈なインパクトは、うまく伝えきれないものの、

個人的には、かなり気に入った、一人であれば、滞在できそうだし、この国で仕事をしてみたいという意識を持った。


ライセンス取得関連の打ち合わせへの参加

今回の訪越における最大のイベントは、ビグラセラ社という元国営企業で、土地の権利取得代行を行っている企業との打ち合わせだった。


当方サイドには、今回のC社のベトナム進出に尽力したコンサルティング会社(日本人とベトナム人)も同席。今まで、C社から業務を請け負う形で、ライセンス取得を行ってきた企業だ。

ビグラセラ社は、日本語の通訳はいるものの、ほとんど通じず。英語も、片言だ。こちら側のベトナム人コンサルティングが、英語(ベトミッシュだが)を話すものの、日本語は話せない。日本人のコンサルティングは、英語が少々怪しいと、自分が入らないとコミュニケーションが成立しないという事を、その場で実感した。今まで、どうやってきたのだろう? 予定外だったが、自分が通訳に入り、企業ライセンスのドキュメントの確認を行った(本当にベトミッシュは、わかりにくい)。


正式文章は、すべてベトナム語

ライセンス書類の原本は、すべてベトナム語である。英語と日本語の対訳がついていたので、数字の書いてある部分のみを、その場でチェックした。読み比べると、英語と日本語で、微妙に内容が違う。どっちが正しいのか?を確認していった。本来であれば、この場で、全文確認すべきだったのだろう。ただ、自分が、いろいろ聞き始めると、ベトナム人達が(同席したベトナム人コンサルティングも含め)、露骨に嫌な顔をしてきたこともあり、柄にもなく遠慮してしまった。この日は、自分の立場が不明確だったこともあり、やむなしだが、結果として、ここでの遠慮が、後々、少々、尾を引く。同席する以上、立場をもう少し明確にしておくべきだったと、後日後悔することになるが、それは、次回にでも改めて、お話できればと思う。


ベトナムに進出する場合、ベトナム語をその企業でどう対応するか?が、重要ポイントの一つだ。大企業であれば、ベトナム語の堪能な法務担当社員が、対応してゆくだろうが、中小だと、そこまで社内に人材をキープできない。その際、コンサルティングに、業務を依頼するわけだが、どこまで彼らが、契約等の文章に明るく、英語や日本語に正確で、且つ、交渉力や人脈があるか、これを正確に把握し、業務契約を締結すべきだ。


この件は、設立時のみにとどまらず、企業のオペレーション上も重要なポイントだ。次回以降で 機会があれば、改めて、紹介したい。


企業ライセンス取得完了により、ベトナム法人として、いよいよ活動開始

今回の打ち合わせでは、以下の内容が確認された。

1、土地の企業登記ができるので、土地の貸借費用の支払いをすることで、土地の権利を取得するスタートラインに立て、工場建設がはじめられる

2、企業としてのライセンスが取得できたので、企業コードを取得する。

3、企業印(チョップ)が、政府によって作られ、支給される

そもそも、この上記二つ(2と3)がないと、ベトナムでは、企業活動ができない。

4、企業コードとチョップが揃うことで、ベトナム法人としての銀行口座を、作ることができる。

今回の訪越は、まさに企業ライセンスが取得でき、ベトナム法人としての活動を開始する起点となった。

第1回目は、予告編のようになってしまった。次回は、工場建設に向けての活動を、報告したいと思う。

 

石井希典

元某自動車パーツメーカーベトナム法人副社長
石井希典

石井 希典 (いしい まれすけ)
1960年生まれ
1982年日本ビクター(株)に入社後、1990年、ソニー(株)へ転職、20年間在籍したのち、(株)メルコホールディングスに3年ほど在籍。
常に、新規事業を創出するための事業開発、事業企画および、事業運営に携わる。
2013年1月より、とある自動車部品メーカーに入社。現地代表として、単身ベトナムに渡り、工場建設から陣頭指揮し、11月に本格稼働をさせた。一定の成果をあげたことと、家庭の事情により、職を辞し、次なるチャレンジに参画すべく、充電中。