海外ビジネスに関連するコラム

世界のどこかでノマドワーカー

ノマドデザイナーinカンボジア  代永加世子

『どれだけ英語ができるようになった?』よく聞かれる質問です。英語に興味がなくて、全く話せない状態でフィリピン留学3ヶ月間。6:30から21:00まで土日も授業、テストも宿題も毎日ありました。それから一年後、オーストラリアで4ヶ月間ELSに通い、今は海外生活9ヶ月目に入ったところです(オーストラリア含め)。
  • 第1回 「海外に住みたい」を実現させる勇気

    『どれだけ英語ができるようになった?』よく聞かれる質問です。英語に興味がなくて、全く話せない状態でフィリピン留学3ヶ月間。6:30から21:00まで土日も授業、テストも宿題も毎日ありました。それから一年後、オーストラリアで4ヶ月間ELSに通い、今は海外生活9ヶ月目に入ったところです(オーストラリア含め)。

  • 第2回 ノマドデザイナー、いざフィリピン留学へ!

    思い立ったら即行動、猛スピードで準備したフィリピン留学  2012年元旦の朝、目覚めた時に決意。  2010年12月末に退職し、その後一年間はノマドデザイナーとしてゆるく活動していました・・・が!フィリピン語学留学を決めた日からは猛スピードで準備をする日々。思い立ったら動かないと気がすまない質です(笑)。  現在、フィリピン語学留学は人気がありますが、当時の私には海外留学といえばアメリカ、カナダ、オーストラリアというイメージしかなく、ハードルが高く感じていたので、フィリピン語学留学はとても新鮮な情報でした。知り合いに親子語学留学した方もいて、アドバイスをもらったりしました。

  • 第3回 波瀾万丈なスパルタキャンパスライフ

    毎週月曜日が入学日。私と同時に入学した日本人は7人、韓国人は7人でした。この同期生をバッチメイトといいます。学校には約200人の生徒のうち韓国人がほとんどで、日本人は大学の長期休みなどになると増えるようですが、それでも15%くらい。その他、中国、ロシア、香港などから来ている人が数人です。 「勤めている会社で英会話が必要になったから」や「転職するための準備」など、留学理由はさまざまですが、日本人のほとんどが20代半ば〜30代前半でした。そして、大体の人が1、2週間の短期留学で帰ってしまい、長い人では半年間という人がいました。 また、ごく稀にご年配の方もいますが、彼らの理由は「老後をフィリピンで過ごすため」などの海外移住だそうです。私が学校で出会ったおじいさんも「毎日ゴルフ三昧!」と話していました(笑)。

  • 第4回 まだまだある!フィリピンについて

    強制帰国!?  ある日の朝、起きたら歯茎が腫れた!原因はインプラント。フィリピンに来る前にインプラント治療をしたんです。それがどうも定着していなかったようで、グラグラ揺れ、腫れてしまいました。気になっていたのですが、それをしばらく放置し(笑)、どんどん腫れていく頬に友人や先生も心配そうな顔・・・。海外で歯医者に行くなんて、恐ろしくて無理!!って思ったけど、このままではヤバいなと感じ、日本語の話せる歯科者を探して行ってみました。  片言の日本語が話せる歯医者さんで、私の心配をよそに淡々と診察を進めていきました。結局、その歯科医院では治療することはできないので、薬を処方してくれ、「これで腫れが治まらなかったら、絶対に帰国するように!」と強く言われましたが(笑)、無事に腫れは治まりました。

  • 第5回 ギリホリでオーストラリア行きを決意!

     決意に至るまで  たしか、ワーキングホリデーという制度を初めて知ったのは、22か23歳の頃でした。勤務先の会社で海外出張に行く機会が数回あり、海外に興味を持ちはじめ、海外で働くことができたらステキだなと思っていました。そんな時、上司がワーキングホリデーという制度を教えてくれたのです。  「ワーキングホリデー!?なにそれ?働くの?休むの??え?両方出来るうえに勉強もしていいの!?」  こんな素晴らしい制度があるのに、なんでその時まで知らなかったのでしょう。答えは簡単です。私は田舎育ちで、専門学校に通うために上京、その後4年間は服をつくり続ける怒濤の日々。ファッション以外のことを考える時間はありませんでした。ただ単に視野が狭かったのです。  ワーキングホリデー制度を知った私は、早速資料集めをして、どこの国を選ぼうかと迷っていました。そして、その頃お付き合いをしていた彼に、打ち明けたのです。「1、2年程オーストラリアに行こうと思う」と。  彼からの返事は・・・。わからなくもありません。付き合い初めて数ヶ月で1、2年間帰国するまで待ってもらおうなんて、虫が良すぎます。その当時の私は、結局行く決心が出来ずにワーキングホリデー(以後ワーホリ)を諦めてしまいました。

代永加世子

ノマドデザイナーinカンボジア
代永加世子

山梨県南アルプス市出身。幼い頃から絵を描くことと洋服を作ることが好き。2000年に上京、服飾専門学校でファッションデザインを学ぶ。 学校の卒業コレクションで《日本繊維新聞社賞》受賞。卒業後、製造・卸メーカーで企画デザインを担当。その後、ブランディングコンサルタントのアシスタントとして活動。そこで学んだブランド戦略を活かしつつ、フリーランスのノマドワーカーになると決意。現在は世界中を旅しながら、デザインと大好きなアクセサリー作りをしている。