公開日:2017年3月23日
「輸出ビジネス」だけではない、「チャネルビジネス」で海外事業を拡大
Vol.12 サッポロホールディングス株式会社 取締役 戦略企画部長 野瀬裕之氏
1876年創業。言わずと知れた世界トップクラスのビールメーカー
森辺: サッポロビールといえば、日本トップクラスのビールメーカーとして知らない人はいないと言っても過言ではないですね。 まずは、御社の歩みや事業内容をお聞かせいただけますか?
野瀬: 当社の事業は、1876年に北海道でビールを作り始めたことからスタートしました。 原料にこだわることで高品質な商品をお客様にお届けするという方針は、創業以来、一貫して当社が目指し続けていることです。 その後、ビール事業を中心としながらも炭酸飲料や外食ビジネスへと多角化を進め、1960年代には海外への輸出事業をスタート。 お陰様で現在は北米市場でアジアビールシェアNo.1のビールメーカーとしての地位を築き、 東南アジアでも製造・販売を順調に伸ばしてきました。
また、創業140周年を迎えた2016年には、10年後の150周年に向けた長期経営ビジョン、 「SPEED150」を策定。グループの中核事業を『酒』『食』『飲』の3分野とし、 これらを世界に展開することにより個性輝くブランドカンパニーとなることを目指しています。 『酒』『食』『飲』はいずれもお客様の食卓を飾る大切な要素。 世界のお客様のより豊かな生活に貢献することを目標に、全社一丸となって取り組んでいるところなんです。
何もなかった北海道に一大企業を作り上げ開拓者スピリッツ
森辺: 御社が長年に渡る歴史の中で、国内外含めて強みとするのはどんなところでしょうか?
野瀬: もともと北海道で事業をスタートさせたいきさつは、当初、東京に工場を構えるつもりでしたが、 「良質なホップがあり、冷涼地でもあることから、北海道の方がビール作りに適している」という話になったんですね。 政府に建白書を出して、官営の工場を北海道に構えました。 それが1876年「開拓使麦酒醸造所」設立です。
当時は明治維新の真っただ中。北海道は大自然以外には何もない土地ですよ(笑)。 消費地でもない、人も住んでいない。そこへ、「西洋諸国に追いつこう!」という気構えでビール工場を建てたのが当社です。 成功するかどうかなんて分からない、うまくいかなかったら税金の無駄遣いになる。 そんな状況下でのスタートでした。 全く何もないところに乗り込んで行って事業を起こすというところが当社の先輩たち、先人たちの強い思いだったわけですね。 この開拓者スピリッツが我々のスタートであり、それは現在の私たちにも脈々と受け継がれている当社の最大の強みだと思っています。
それから、当社を語る上で忘れてはならないのが、我々の持っている個性的なブランド。 「ブランド」の定義についてはいろいろな意見や考え方があると思いますが、私はやはり、「お客様との約束事」だと考えています。 その約束事をいつも元気に明るく、お客様に提供していくというのが我々の思いであり、強みにもなっているのでしょう。
この140年、国内外問わず、長い間多くのお客様や関係各社とお付き合いをさせていただいてる根底には、 開拓者スピリッツ、開拓者の熱い思いと、ブランドを大切にしていこうというお客様との約束があります。 それが我々のDNAであり、プライドだともいえるのではないでしょうか。
1960年代にいち早く北米に進出し、アジアビールNo.1のビール会社へと成長
森辺: 御社の海外事業は顕著に売り上げを伸ばしていますよね。 グローバル展開の全体像や概要についてお聞かせいただけますか?
野瀬: そもそも我々の日本国内における事業の原点はビール作りですが、 ビールを作っている時に発生する炭酸ガスを活用することで、炭酸飲料へビジネスを広げていきました。 そして、「ビールと飲料水があるんだから、飲む場所を作ろう」ということで、 外食ビジネスに参入し、これが現在のサッポロライオン社。 これらの事業が軌道に乗ると、今度は国内で消費されているものを海外にも売っていこうとビジネスを拡大させ、 1964年に海外事業をスタートさせました。
一番最初に当社がターゲットにしたのはアメリカです。 当時のアメリカには既に日本企業がたくさん進出していて、 その後、日本食が少しずつブームになり始めていたという背景があったので、そこに販路を広げていきました。 それがアメリカという国の文化や時代の変化と合致して、1985年に当社は北米における日本製ビールシェアNo.1になることができたんです。 翌年にはアジアビールシェアNo.1となり、以来、その地位を守ることができるまでに成長出来ました。
そこから2006年にカナダ第3位のビール会社、スリーマン社をM&Aでグループ傘下に入り、 このことがさらに、大きな海外事業の飛躍をもたらしてくれました。 アメリカとカナダに拠点を構えることでビール事業にシナジーを起こすことができ、これが北米事業における要になっています。
森辺: 1960年代にアメリカへの輸出を始められたということですが、 日本のビール会社として早い参入であったことはもちろん、消費財の業界で見てもとても早いですよね。 日本企業の中では先進的と言われている消費財メーカーでも、 売りという意味では1980年代後半頃から徐々にグローバル展開を始めたことを考えると、いかに早かったかがよく分かります。
しかもただ早いだけではありません。多くの日本の消費財メーカーが行っている輸出ビジネスは、 「日本の港から現地の港にどう輸出するか」がベースになっています。 その後、自社の商品がどういう中間流通を通じて、どういう小売店にどのように並べられて、 どのような消費者がそれを手に取って、何を思ってリピートするのかということを無視して進めるビジネスなので、 あまり伸び代がなく天井がくるんですよね。 それを輸出型ではあっても相手国の港から先のチャネルをしっかり把握したビジネスに変えていって、 最終的には現産現販型チャネルビジネス、そしてM&Aも含めてどんどん進化をしていくことを目指すべきなんです。
こうした観点で見ると、御社は輸出を始めたのが早い上に、北米で現地法人を設けたりM&Aを行ったりという、 いわゆる現地におけるチャネルビジネスにいち早く参入しています。 ビジネスのスピードは御社のグローバル展開の大きな強みになっているんじゃないでしょうか。 そのスピードを生かして、いかに現地の消費者のためのチャネルビジネスを展開するかに重点を置いておられますよね。 ただ単に輸出して、後のことは知りませんという、売り手主体のビジネスではなくて、 買い手のことを考えたビジネスに早くから参入していらっしゃる印象を受けました。
野瀬: 確かに、買い手のことを考えたビジネスというのは第一に考えていますね。 北米におけるビール事業が成功した要因の1つには、 日本食市場の拡大に伴って、それに合う日本のビールにフォローの風が吹いてきたという時代性がありました。 1984年に「サッポロカップ生」を発売し「シルバーサッポロ」と愛称で呼ばれ、 これがスタイリッシュだということで、ジャパンビアーのひとつのステータスのような受け止め方をされました。 これがアメリカマーケットでのキラーコンテンツになっていきましたね。 グローバルに展開しながらもうまく日本のローカル色を表現した商品だったことが、大きなエポックメーキングになったのでしょう。 このことも、買い手側の思いや考えに立って開発・販売したからこそ、成し遂げることができたんだと思います。
チャネル戦略にこだわり、ディストリビューターを駆使してさらなる飛躍を
森辺: 北米では、サッポロのビールはアジアビールの中でNo.1です。 これほどの地位まで上りつめた今、この先の北米市場ではどんな展開をお考えになられているんでしょうか?
野瀬: アメリカという国は懐が深くて、まだまだ大きな可能性を秘めていると考えています。 我々の商品はアメリカ全州に配荷されてはいるものの、押さえきれていないエリアもある。 「サッポロブランドを展開していく」という観点でいうと、まだまだ大きなチャンスはありますよね。 カナダにおいても、スリーマン社がグループ傘下に入って約10年。 これからの成長のためにはさらなる投資が必要だと思っています。 北米の売上は、10年後くらいまでには、今の売り上げの約2倍まで成長させていきたいですね。
すでに豊田通商アメリカとの合弁会社として 果汁飲料メーカーのシルバースプリングスシトラス社と業務用果汁飲料製造の大手であるカントリーピュアフーズ社を傘下としておりましたが、 2016年に、アメリカの業務用シャーベット製造のリッジフィールズ・ブランド・コーポレーション社のシャーベット事業を取得しました。 学校給食向け商品ラインとして、シャーベットを提供していて、ユニークなビジネス展開ができるようになってきました。
ただ、北米では基本的には酒類事業が中心になっていて、飲料水の事業は今のところBtoBのみだというのが残念なところ。 ゆくゆくはそこにも我々の飲料ブランドを大きく掲げたBtoCの展開もぜひやっていきたいと考えています。
森辺: マーケティングではProduct(商品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(販売促進)の4P、 どういう商品をいくらで、どういう場所で売って、どういうプロモーションをしていくのか、という考え方がありますよね。 北米のような大きな市場でビールや飲料水を売っていく時には、4Pの中でもPlaceのチャネルにかかわる部分が非常に重要です。 広い北米で御社のように商品を流通させるには、やはりしっかりとしたディストリビューション・ネットワークを持って、 スーパーなどに配荷される仕組みを作っているのでしょうか?
野瀬: 今、我々が持っている問屋クラスのディストリビューターは、全米で250社ほどです。それを家庭用と業務用に分けて展開しています。 1964年から始めて50年余りの歴史の中で作り上げてきた、このディストリビューション・ネットワークがあるからこそ、 当社の商品が全米の消費者の手に渡っていくわけなので、大きな価値を持っていると思います。
森辺: 250社に至るまでにはきっと何千というディストリビューターと会って、そこから取捨選択しつつネットワークを作っていったことでしょう。 そのチャネルインフラがあってこそ、今の市場が形成されたわけですよね。 御社は進出が早い上に、チャネル作りにものすごく長けていると感じます。 多くの日本の消費財メーカーが輸出ビジネスで止まってしまうのは、チャネル作りが下手だからなんですよね。 1つの国に大きなディストリビューターを1つだけ置いて丸投げしてしまう。 その下にいくつの問屋があるのか、そこから先のことはよく分からない、みたいなビジネスをしているケースが多いんです。 こうした企業にも、御社を見習ってチャネルビジネスへ進んでいってほしいものですね。
ベトナムにおける新ブランドを中心に、成長著しい東南アジアにも事業展開
森辺: 御社は北米の他に、東南アジアにも力を入れていらっしゃいますが、そのことについてお聞かせください。
野瀬: アジアへは早くから輸出事業を中心に展開していましたが、大きな転機となったのはポッカコーポレーションとの経営統合ですね。
ポッカは今から40年ほど前にシンガポールに生産拠点を作り、お茶のビジネスを開始しました。 本当に早い時期から進出したことには、グループ会社ながら頭の下がる思いです。 そのまま飲める容器に入った飲料をRTD(Ready To Drink)と呼んでいますが、 お茶系のRTDとしては今、ポッカはシンガポールではシェアNo.1のブランドに成長。 地元の商品、地元のブランドとして定着しています。ディストリビューターの間でも、ポッカブランドのステータスはとても高いです。 こうした背景があり、シンガポールを拠点としながらマレーシアでの飲料工場設立や中東への輸出を広げているところです。 振り返ってみると、当社グループの東南アジアにおける事業の基盤は、ポッカがいち早く海外展開を開始したことによって作られたといえるでしょう。
森辺: 1980年代のシンガポールで当時、ポッカのミルクコーヒーがすごく流行っていました。 これはポッカがいち早く輸出を始めていたからに他なりません。 ポッカ自体の先見の明や実力はもちろんですが、サッポログループが経営統合の相手に選んだことにも非常に優れた戦略を感じますね。
こうした東南アジアへの展開の中で今、特に際立っているのが御社のベトナムにおけるビール事業です。 冒頭でお聞きしたサッポロのDNA、プライド、開拓者スピリッツ、これがまさにベトナムの事業に思い切り出ているのではないでしょうか。 私が最初に新聞で「サッポロがベトナムにビール工場を建てる」という発表を見た時には、 「まだ販路もできていないのに工場投資をするなんてこの市場を絶対に取るという意思の表れであり、この会社すごいな!」と思いました。 ベトナムにおけるビールの消費量は現在、アジアで第3位ですが、年々増え続けています。 そのベトナムに目を付け、工場投資を決断したというのは、まさに北海道の開拓者スピリッツとつながっていますね。
野瀬: 東南アジアというのは大きな成長センターで、酒類や飲料水の会社に限らず、あらゆる消費財メーカーから注目が集まっています。 中でもベトナムは成長著しいことはもちろん、アルコールを、特にビールを大量に飲む習慣があり、なおかつ平均年齢が28~29歳。 宗教的にアルコールが禁じられているというような問題もありません。 そんな国、他にはありませんからね。 最初はビナタバ(VINATABA)という現地のたばこ会社との合弁でスタートさせましたが、現在経営はサッポログループでやっています。
サッポロが乗り込んでいって、工場を建てて、市場を作っていく。 そういった意味では、北海道の時の開拓者スピリッツに通じるものがあるといえるでしょう。
森辺: ベトナムへの進出を決定してから工場が竣工するまでがとても早かった印象がありますが、 これは先ほどおっしゃっていた、「アジアでもうこんな国はない」という強い意志が影響したんでしょうか。
野瀬: 決定当時、当社はすでに北米に拠点を置いて、ビールのチャネルビジネスを順調に進めていました。 日本のビールは、北米ではローカル色の強い、ちょっとした贅沢品です。 プレミアムマーケットに「imported beer」として並ぶわけですね。 北米には既にプレミアムマーケットが市場として存在していたので、このような扱いになりました。
一方、東南アジアはまだまだこれからの時代で、市場は成熟していません。 欧米諸国のブランドも進出していますが、全てが戦い切れてるわけではなくて、ローカルの安価なブランドを相手に苦戦を強いられています。 当社は日本国内における平均年齢の増加に伴うアルコールを飲む人たちの減少をきっかけに海外に目を向け始めましたが、 その意味で、我々はベトナムに大きなチャンスを見出しました。 それこそ30年前の日本が明らかに見えたわけです。 実際に市場調査をかけてみると、その結果からも高い将来性が見込めることが分かったので、 これは早急に工場を建てて、チャネルを作っていかなければと。
もちろん、そこには東南アジアの消費者が「日本の商品はいい」と思ってくださっているというバックボーンもありますが、 ベトナムにおける事業をスピーディーにスタートさせた理由としては「アジアでもうこんな国はない」という意志は確かに大きかったでしょう。 「この市場は絶対に取らなきゃダメだ。やれるまでやり切ろう」という、定量的ではなく定性的なモチベーションがありましたね。
森辺: いろいろな調査をベースとした戦略はありつつも、海外事業に巨額の投資をするにあたって最後に背中を押したのが、 開拓者スピリッツでやり切るんだ」という思いだったわけですね。 アジア新興国の最大の魅力は中間層であって、そこを狙えない、もしくは狙わないのなら、そもそもアジアに進出する意味がありません。 日本の地方都市で何かのキャンペーンでもやった方が、よっぽどビジネスとしては楽ですよ。
日本の消費財メーカーは、中間層が大切だと分かっていながらも、富裕層や上位中間層という攻めやすい消費者に逃げてしまって、 「中間層がもっとお金を持つようになったら」などという考え方になりがち。 そうすると、近代小売の輸入品棚にしか商品が置かれないという結果になり、いつまで経っても導入期から抜け出すことができません。 ベトナムには近代小売は1200店舗ほどしかないので、そこに置くのは当たり前。 後は、いかに50万店存在する伝統小売市場で中間層のための商品を、中間層が買いやすい価格で売っていくか、ということがすごく重要になってきます。 まさにそれを具現化したのが、御社がベトナムで展開しているオリジナルブランド、「ブルーキャップ」ということになるんですね。
野瀬: 当社は、ベトナムの市場をハイエンドの「プレミアムマーケット」、「メインストリーム」、エコノミーな「ローエンド」の主に3つのカテゴリーに分けて考えています。 もともと我々が進出を決めた当初は、プレミアムマーケットに入っていきました。 ブランドの価値を高めていくためには、プレミアムマーケットで一定の認知度と理解を得ることが大切だと考えて、最初の入り口としたわけです。
当然、プレミアムマーケットは今後も需要な市場として継続してやっていきますが、 実はここ数年の間に、メインストリーム、つまりは中間層の市場が我々の想定以上に大きくなってきたという事実があるんですよ。 ローエンド層の所得が上がることで全体に底上げされたことと、ハイエンドの消費者がプレミアムのカテゴリーだけではなくて、 メインストリームカテゴリーのお酒も飲み始めているということが大きな理由。 要は上からも下からも入ってくる、という状況が見えてきてたので、 プレミアムではないメインストリームに合った新たなブランドを立ち上げようということになったんです。 同じ商品の価格を下げるというのはブランドとしてあり得ないことなので、違うブランドとして「ブルーキャップ」を立ち上げました。
これはある意味当たり前の動きであって、ブランドのポートフォリオをどう作っていくかという第2次ステージに入ってきているのだと思います。 今はプレミアムのゾーンとメインストリームのゾーンを攻めているところです。
森辺: 「ブルーキャップ」を投入して中間層を取り込むという考え方は、他の日本の消費財メーカーにとって学ぶべきところだと思います。 日本の消費財メーカーがアジア新興国に展開する時の本音は、「日本のブランドの価値を下げたくないから、 日本で売っているものをあまり変えずに、できればちょっと安いくらいの価格で売れたらいいな」、というもの。 原材料を変えることや新商品を開発することのリスクや労力の大きさを考えると、 どうしても日本にあるものをそのまま売りたいという発想になってしまうんです。 その発想を正当化する言い訳が、「ブランドの価値を下げない」ということなんですね。 結果として、中間層が大切だということを分かっていながら、ターゲットが上振れすることになるわけです。
しかし、ユニリーバやネスレ、P&Gがこれだけ中間層のど真ん中に展開していながらも、確固たるブランドを築いているところを見ると、 ブランディングとターゲット層というのは別々に考えた方がいいことが分かります。 それを理解していない消費財メーカーが多くて、なかなか中間層に本気で取り組めない。 こうした会社が多いことを考えると、御社のこの「ブルーキャップ」という中間層への取り組みの話は非常に興味深いですね。
これから更に挑戦をして広めていくためには、チャネル作りがとても重要じゃないですか。 近代小売が1200店舗ほどしかないことを考えれば、ベトナムではトラディショナルトレードという伝統小売で売っていくことが重要です。 これからはそういう店舗にも配荷を進めていくというイメージなんでしょうか?
野瀬: 現地の消費者にとってはトラディショナルトレード(伝統小売)が非常に大事なマーケットなので、そこも当然考えています。 一方ではやはり、ブランドをしっかり作っていくという観点からモダントレード(近代小売)も大事なので、2つを両輪として考えていくつもりです。
森辺: 近代小売に商品が置かれていることが伝統小売では評価されるし、 伝統小売の配荷率が高いことが近代小売との各種交渉の際に優利に働くことがありますから、どちらも平行して攻めていくわけですね。 その上で、現地の中間層が求める商品を(Product)、現地の中間層が買える値段で(Price)、現地の中間層が買いやすい売り場で(Place)、 現地の中間層が選びたくなるような活動を(Promotion)する。 素晴らしいと思います。
飲食店での体験を家庭に循環できるという、ビールならではのプロモーション
野瀬: それから、ビールのブランド特有のこととして、家庭で消費されることを目的とした小売店で提供される「オフのマーケット」に対して、 飲食店で提供される「オンのマーケット」の存在も忘れてはなりません。 小売店で買った商品は「モノ」ですが、飲食店では料理や会話をはじめとして、そこで触れる全てのことが「コト」としてしっかりと記憶に刻まれます。 そこで触れたブランドを「家でも飲んでみようか」と、オフの方につなげていくことができるんですね。 これは先ほどお話しした、プレミアム、メインストリーム、ローエンドの3つのマーケット全てに共通しています。 ベトナムの方は我々の予想以上に外食好きで、家であまり料理をしないという生活環境がありますからね。
今、クラフトビールが元気になっている理由は、醸造所に併設されているブルーパブのようなお店が増えて、ブランドと消費者の接点が増えたことです。 「ここで飲んだ、触れた、おいしかった、これってユニークだね、どこで売ってるの?」と。 この連想がオフのマーケットにつながっていくわけですね。
それから、東南アジアが北米と違うのは、東南アジアからは旅行客がたくさん日本にいらっしゃって、 日本で日本のビールに触れるということを多くの人が体験しています。 日本で体験したことに、国に戻ってからまた触れてみる。 この循環を作り出すこともできるんです。 これはある意味、料理のジャンルを問わず幅広い飲食店で提供されるビールだからこその仕組み。 非常にやりがいを感じますし、お金をかけて広告を出さなくてもブランドを体験していただくための仕組みを作れるというのはありがたいことです。
森辺: 特に導入期は配荷率が悪く、ATLなどのCMや広告を打ってもコンバージョンは悪いので、 まずは体験でジワーッと浸透させていくというのはいい方法ですよね。 私はベトナムと日本とでは、求めている商品や、求めている「いい体験」の定義がかなり違うと思っています。 アジア全般的に、基本的には年中、味が薄くてぬるいビールを飲んでいて、 ちょっと「今日は暑いな」と思ったら、大きな氷をガボッと入れて、さらに薄まったビールをガーッと飲む、みたいな。 日本ではあり得ない飲み方をしていますよね。
日本のCMで流しているような、キンキンに冷えたグラスにキンキンに冷えたビールを入れて、 ゴクゴク、プハーッ、という体験までは、ベトナムの消費者は求めていないように思います。 そのあたりの違いには、かなり苦労されたんでしょうか?
野瀬: いわゆる日本でいうところの生ビールの文化はベトナムではまだ成立していませんからね。 泡のシズルやトップの雰囲気を求めているかといわれると、ちょっと違うかもしれません。 ただし、泡のシズルをグラフィックで表現することによって、よりおいしいビールの飲み方も伝わるはずですから、 CMや広告でそういう施策を行うことにも大きな意味があるのではないかとも思いますね。 今、韓国ではそういう施策を行いつつあるので、そのうち日本型の提案が受け入れやすくなっているのではないかと考えています。
森辺: なるほどです。いわゆる華僑圏の人たちは、水でもお酒でも、冷たいものを飲むのが体に悪いと思い込んでいるところがあります。 そのくせエアコンはキンキンにかけていますよね。ホテルやバス、地下鉄などは冷凍庫みたいに寒いのに、飲むものは常温か、ぬるめ。 御社のビールへの印象の変化をきっかけに、そこの価値観というか、習慣が変わると面白いと思います。 すごく素敵な挑戦ですよね。
野瀬: そういうことをお客様に受け止めてもらい、これがひとつのバリューなんだということを分かってもらう、 ある意味啓蒙型のマーケティング訴求みたいなものはやっていった方がいいでしょうね。 一歩一歩丁寧に、着実に消費者を導いていく方法は、日本独特の良さでもあると思います。
日本と現地法人の2ウェイのコミュニケーションでグローバル人材を育成
森辺: グローバル展開を進めていく中で、グローバル分野への人材の投入や育成はとても重要な課題ですよね。 この課題については、御社はどのように取り組まれているのでしょうか?
野瀬: 私が入社した当時はまだ、「グローバル」という言葉が日本ではあまり定着していませんでした。 当社も輸出をちょっとやっていたくらいで、海外の売上比率もほんのわずかでしたが、 それが今では2割くらいにあたる900億円ほどが海外の売り上げになるまでに成長しました。 これは10年間で大きく変わった点ですが、その理由にはチャネルビジネスに転換できたことやM&Aの他に、 グローバル人材への取り組みが功を奏したといえるでしょう。
現地法人の経営にあたる人材をどう作っていくかというのは、当初から大きな課題として挙がっていて、それは経営メンバーで共有をしてきました。 優秀なグローバル人材を増やしていくために、まずは海外で経験をさせるようにしています。 今後も若い時に経験をさせて、そういう人たちをプールしていく。 併せて、研修でもグローバルな人材を育てるためのカリキュラムを組んでいます。
森辺: ローカル社員の育成やコミュニケーションについてはいかがですか?
野瀬: 現地法人の日本人社員と、ローカル社員とのコミュニケーションはしっかり取るように心がけていますね。 今後は更に、現地に赴いた時には、ローカルメンバーを含めて日本の情報を皆で共有することに加えて、 さまざまな議論を行い、今度はそれを日本に持って帰って日本の社員へ共有。 この2ウェイのコミュニケーションがこれから重要になってくると思います。
そして2016年からは年に1回、各グローバル拠点のマーケティング担当者が一堂に会して行う「グローバル・マーケティング・ミーティング」をスタートしました。 2回目にあたる2017年のテーマは、「サッポロブランドの価値規定をみんなで考えよう」。 ローカルにおける展開が進んでいくのはもちろんいいことですが、そこへブランドのエッセンスをどう取り入れていくのかをもう一度見直そうということです。 当社は、ゆくゆくはこのブランドで、日本発の海外売上高No.1を取ることをひとつの目標としていますからね。 今後を担うメンバーを札幌に集合させ、それこそDNAをもう一度皆で確認し合おうと計画しています。
また、ローカルの社員を日本に呼んで会議を行うこともあるんですよ。 東南アジアの社員はまだまだチャンスを広げたいと考えているので、喜んで来日してくれます。 このようなグローバルの人材育成やコミュニケーションへの取り組みは、これからもっと進めていきたいですね。 集中的に、スピードを上げて取り組んでいくことが重要だと考えています。
創立150周年の2026年へ向けて、『酒』『食』『飲』の3分野を世界へ
森辺: 最後に、今後の展望をお聞かせいただけますでしょうか。
野瀬: 当社はビール事業でスタートした会社ですから、それを中心として今後もグローバル事業を世界で展開していきますが、 『酒』『食』『飲』、この3つを独立した戦略として考えていきたいと思っています。 『食』の観点でいうと、まだ実績はゼロに等しいんですよ。 例えばポッカサッポロフード&ビバレッジ社で売っているスープ「じっくりコトコト」シリーズは日本では人気をいただいていますが、海外展開はできていません。 今後はこの『食』の分野も含めて、海外へ展開していきたいですね。
森辺: 「じっくりコトコト」のコーンポタージュは私も大好きです。 あれは本当においしいですから、絶対海外でも売れますよね。
野瀬: 即席スープ自体がまだそれほどないんですよ。 ゆくゆくは即席スープという文化自体が広がっていくような市場を作れたらいいですね。
これは『酒』がマザー事業として取り組んでいる当社だからこそできることだと考えています。 フードと飲料水、フードとお酒というのはいろいろな意味でセットですが、『酒』『食』『飲』を一緒に展開している会社って、ありそうでないんですよ。 ですから、我々の経営理念でもある「『酒』『食』『飲』でお客様の生活をより豊かに楽しくすること」を目標に、 食卓を彩るサッポログループとして、日本だけではなく海外でも挑戦し続けていきたいと思っています。
2026年までには、ヨーロッパでも展開を考えたいですね。 ヨーロッパには商品を輸出してはいますが、もっと現地に入り込んだビジネスを考えています。 さまざまな国の食卓に地元のおいしい料理とサッポログループのお酒や飲料水が並び、生活を豊かにできる存在になれたら理想的ですね。
森辺 一樹 (もりべ かずき)
スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長兼CEO
法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科 特任講師
1974年生まれ。幼少期をシンガポールで過ごす。アメリカン・スクール卒。帰国後、法政大学経営学部を卒業し、大手医療機器メーカーに入社。2002年、中国・香港にて、新興国に特化した市場調査会社を創業し代表取締役社長に就任。2013年、市場調査会社を売却し、日本企業の海外販路構築を支援するスパイダー・イニシアティブ株式会社を設立。専門はグローバル・マーケティング。海外販路構築を強みとし、市場参入戦略やチャネル構築の支援を得意とする。大手を中心に18年で1,000社以上の新興国展開の支援実績を持つ。著書に、『「アジアで儲かる会社」に変わる30の方法』中経出版[KADOKAWA])、『わかりやすい現地に寄り添うアジアビジネスの教科書』白桃書房)などがある。