グローバルの流儀

日本の伝統、ふりかけ文化を時代にフィットさせながら世界へ

日本の伝統、ふりかけ文化を時代にフィットさせながら世界へ

Vol.27 株式会社大森屋 代表取締役社長 稲野達郎氏

1927年に海苔の行商として創業した、長い歴史と伝統を持つ株式会社大森屋。 大阪府大阪市福島区に本社を置く、海苔やふりかけ、お茶漬けを主力とする食品メーカーだ。 日本の少子高齢化に加え、近年の海苔の不作や食文化の欧米化による海苔の需要の減少といったさまざまな問題を抱える中、 2017年に代表取締役社長に就任した稲野達郎氏。 目下、もともと海苔やふりかけの文化がない中国において、ふりかけ文化の啓蒙から始め、徐々に実を結びつつあるという。 「国境で区切る必要はなく、行けるところは全部行きたい」と語る稲野氏が考える今後の海外事業における展望、 そして「攻めの経営」とは?

創業90年余り。稲野氏の社長就任を機に、「攻めの経営」へシフト

森辺: 御社は「海苔の大森屋」として有名で、多くの方が御社の商品を口にされたことがあると思います。 まずは事業内容と歴史についてご紹介いただけますか?

対談風景 稲野: 当社の創業は1927年、楠瀬好得が東京の大森海岸で採れた海苔を仕入れ、大阪市港区で海苔の行商を行う「楠瀬商店」を起こしたのがスタートです。 1941年に味付け海苔の加工を始め、第二次世界大戦中は休業となりましたが、戦争が終わって1949年から味付け海苔の製造を再開しました。 そして1955年、大阪市福島区に加工海苔の製造・販売を事業とする株式会社大森屋を設立。 当社のトレードマークは「やまくす」と呼ばれていて、創業者の楠瀬から「楠」の一字を取ったものです。

1956年に本社を現在地に移転。1962年に大阪府知事賞、1966年に水産庁長官賞、農林大臣賞をいただいております。 海苔一筋だった当社ですが、1980年に「しらすふりかけ」の製造販売を開始したことを機に、 ふりかけやお茶漬け、スープなどへと事業を拡大してきました。 コーポレート・キャッチコピーは「自然のおいしさと健康を食卓に」。 総合食品メーカーとして健康食品や自然食品にまで視野を広げ、付加価値の高い商品作りを目指しています。

森辺: 海苔は日本人の食生活にはなくてはならないものですが、食文化の欧米化によって海苔の加工品の需要も減ってきているような印象があります。 そのあたりの現況をお聞きできますか?

稲野: 創業当時は家内工業的な海苔屋だったので、年間売上は3,000万円ぐらいでした。 1967年に10億円になり、1975年に100億円を突破。 1989年に150億円近くになり、2006年に178億円でピークを迎えました。 しかしその後はこれを超えることはなく、ずっと足踏み状態。 2018年はお陰様で177億8,000万円になり、もう少しで最高売上に届くところだったんですが、惜しいところで達成できませんでした。

100億から150億円に乗った時はバブル期であり、当社のヒット商品である「緑黄野菜ふりかけ」をはじめ、 ふりかけ商品群の新商品がたくさん発売されたため、そこまで伸びたと考えています。 バブル崩壊後は、当社の強みだったギフトが年々下降し、苦戦を強いられました。 それと同時に、家庭の朝食がご飯からパンに代わっていき、パンが一旦落ち着くと今度はシリアルが台頭。 海苔が食卓に並ぶ機会が少なくなってきたといえますね。 ただ、海苔の需要自体はほぼ横ばいなんですよ。 海苔の需要は家庭用から、コンビニのおにぎり、つまり業務用の方にシフトしてしまいました。 海苔の出る場面が変わってきたということですね。BtoCをメインとする当社には厳しい状況です。

対談風景 森辺: そんな中、2017年に稲野社長が就任されてからは「攻めの経営」ということで、新しい経営方針を打ち出しているそうですね。

稲野: 私の先代の社長は叔父で、その前は私の父が就任していました。 株式を上場したり、売上を100億円に乗せたりと、大きな実績を積んできた2人です。 その分、社員からするとちょっと近寄りがたい存在だったので、 私の代では世の中の変化に合わせて、社員といろいろな情報を共有しながら、何が足りないのか、 何に挑戦すべきなのかを話し合って決めていこうという方針に転換しました。 社員がストレスなく働くためには、「残業は悪だ、早く帰れ」ではなく、 やるべき仕事をしっかりこなしつつ早く帰るための仕組みとして、例えば社員にiPadを持たせて、外出先でも作業ができるようにするなど、 そういう働き方改革に取り組んでいます。

それから当社の工場の製造設備は、1970年の建設以来それほど変わっていないんですよ。 当時は最新の設備だったんですが、今ではだいぶ古くなってきました。 そこで工場にプロジェクトチームを作って、もっと美味しい海苔が焼ける、ふりかけをもっとうまく袋詰めできる、といった設備を整え、 機械化による製造効率アップを目指しています。

森辺: そうすると、攻めの経営というのは、 労働時間を短縮して1人あたりの生産性を上げること、 工場の設備を見直すことで稼働率を高めて生産性を上げること、 この2つに取り組まれているということですね。

稲野: 過去に業績が下降気味になった時、リストラまではいかなかったものの、退職者が出ても社員を補充することなくやっていた時期がありました。 そうすると、1人あたりの売上は大きくなりますが、その分どうしても業務負担が増えます。 このままでは社員が疲弊してしまうということで、経費はかかっても新しい人を入れて、生産性を上げる方向にシフトしました。 そして、1人辞めたら1人入れるのではなく、5年後、10年後まで見据えて、若い人を育てていきたいと考えています。 次世代を継いでいく人材を育成できるよう、社員教育にも力を入れなければなりませんね。

森辺: 先を見据えた人材投資を積極的に進めているんですね。 「企業は人なり」ですからね。

稲野: そうですね。 「経費」と捉えず「投資」と捉えると、会社にとって必要な部分ですから。

東日本への新販路の開拓、消費者参加型のプロモーションで国内を強化

森辺: 御社のヒット商品をご紹介いただけますか? 先ほど「緑黄野菜ふりかけ」が挙がりましたね。

稲野: 1994年に発売した「緑黄野菜ふりかけ」が、当社のふりかけの中で一番売れている商品です。 それまでふりかけというのはかつおベースで、ご飯をガッツリ食べるための商品が主流でした。 他社が既に出しているものと同じような商品を出しても価格競争になるばかりなので、当社は野菜を使って健康にいいふりかけを作ろうと。 野菜嫌いのお子様にも、ご飯を美味しく食べながら健康に育ってほしいと、12種類の緑黄色野菜が手軽にとれるふりかけを開発したんです。 初年度、単品で10億円ぐらいの売上を達成し、今では大森屋を代表するふりかけになりました。

また、海苔のヒット商品としては「ぱりうま」が挙げられます。 有明海産の一番摘み原料のみを使用した、口溶けの柔らかさと香りの良さが特徴の海苔です。 店頭で市販されている中では、当社の最高級の海苔になります。 先ほど言いましたようにギフトの需要が落ちてきたので、家庭で上級の海苔を食べる機会も減っていますよね。 そこで、市販品でもギフトに匹敵する品質のものを出して、「海苔ってやっぱりいいな」と感じていただきたいと考え、発売した商品です。

森辺: 「ぱりうま」は私、御社の海苔とは知らずに食べていました。 母親が関西にいて、送ってくるんですよ。 たぶん東京にも売っているはずなんですが、たぶん関西にしか売っていないと思っているんでしょうね。 それで意識せずに、妻と一緒にこれを食べていたんです(笑)。

稲野: それはうれしいですね。 ありがとうございます(笑)。 関西ほどシェアは高くないですが、東京でもこの「ぱりうま」は売っていますよ。

森辺: 先日、海苔が半世紀ぶりの不作だというニュースを見ました。 原材料の高騰というのは、やはり御社にとっても痛手になっているんでしょうか?

対談風景 稲野: そうですね。一番いい時には日本全体で、板海苔にすると100億枚採れた海苔ですが、2018年は75億枚ぐらいで、2019年は63億枚ぐらいです。 70億枚を切るというのは46年ぶりなんですよ。 10年前と比べて、海苔1枚の仕入価格が3、4円上がっています。 我々は年間5億枚の海苔を使いますから、1円上がったら5億円利益が左右されるわけです。 味付け海苔や焼海苔は加工食品ではあるものの、原材料はほぼ海苔なので、生鮮食品に近いものなんですよ。 野菜や魚のように、豊作・豊漁の時は安くなり、不作・不漁の時は高くなる。 そう考えると、海苔も毎年価格が変動してもおかしくないんです。

しかし加工食品である以上、安定した価格が求められますよね。 価格を安く設定すると品質が下がり、消費者の海苔離れを招きます。 品質を守るためにはある程度の価格を保つことが大切なんです。 そういう意味で、確かに海苔の不作は痛手ではありますが、 多様化、個性化する消費者の支持を得られる新商品の開発を推進することで痛手を最小限に食い止めることは可能だと考えています。

森辺: そういう意味では、「ぱりうま」のようなワンランク上の商品も、多様化、個性化する消費者の支持を得ているといえますね。

稲野: そうですね。 新商品の開発の例をもう1つ挙げれば、ノーベル製菓の人気シリーズ、「男梅」とコラボレーションした「男梅ふりかけ」。 このように他社のブランドを借りながら知名度を上げていくような商品開発にも取り組んでいます。

また、営業企画部では消費者を交えたさまざまなプロモーションを行っているんですよ。 例えば「緑黄野菜ふりかけ」のデモンストレーション。 中に入っている7種類の野菜のパーツを別々のボックスに入れて、お客様には基礎となるゴマと塩のふりかけが入った袋を渡します。 そこへ各自が好きな野菜パーツをスプーンで7杯分選んで、自分だけのオリジナルふりかけが作れるんです。 スーパーの店頭などをお借りして行っていて、非常に好評なんですよ。 ついでに当社の商品も買っていただけますし、スーパーの集客にもなるので、スーパー側からも喜んでいただけます。 単純に安売りするよりも、そういう消費者参加型のイベントに投資していきたいですね。

当社はお陰様で、関西ではそこそこのシェアがありますが、関西以外には当社の商品が並んでいない量販店がまだまだあります。 そういう意味では、東日本の新規開拓、あるいは既存店舗を深掘りすることでシェアを拡大していけば、国内でも利益が伸びる余地はあるでしょう。

森辺: 新販路、新しいマーケットのさらなる開拓を強化していくということですね。

海外では手始めに中国へ進出。中国を拠点に、欧米や東南アジアへ輸出

森辺: 国内が伸びる余地があるとはいえ、人口減少により、海苔に限らず食品全体が縮小しているのも事実です。 胃袋の数が物理的に減っていることに加え、平均年齢が上がることによって食べる量も減っていく。 当然、海外の胃袋を獲得しに行かないといけないですよね。 御社は2012年に中国に進出されています。 その辺の状況をご説明いただけますか?

対談風景 稲野: 近年の本物志向、健康志向の上昇とともに、日本食は世界中の高い評価と関心を集めていますよね。 日本は島国なのでどうしても国境で区切りがちですが、私は何も国境で区切る必要はなく、行けるところは全部行きたいと考えています。 中国は日本と同じ箸を使う国であり、海苔も採れるので、まず手始めに中国へ進出したという形です。

とはいえ、中国は白いご飯に前の晩のおかずをぶっかけて食べるという習慣があるので、海苔やふりかけ、お茶漬けがなかなか認知されません。 ただ店頭に並べただけでは、「これ、何に使うの?」と、理解してもらえないんですね。 そもそも店側が、どの売場に置いていいかさえ分からず、調味料売場に置かれたりしますので。 そこで、量販店で試食販売を行ったり、アリババや天馬といったショッピングサイトで使い方の動画を流したりして、まずは食べ方から啓蒙していきました。

7年経った今でもまだ採算は合っていませんが、ようやく年間売上が1億円ぐらいになってきたので、今後も力を入れていきたいと考えています。 中国国内で日本の商品を販売するだけではなく、中国の現地法人を拠点にして、 中国の海苔を使った商品を中国市場に販売するとともに、中国から欧米向けに輸出も行っているんですよ。 それから、ふりかけの原料は中国産が多いので、中国の現地法人を介して日本への原料の調達も行っています。

森辺: なるほど。欧米にも日本人やアジア人の市場があるので、そこもターゲットになるわけですね。 中国では、日本の食材コーナーや日本のスーパーに置くだけじゃ売上はたかが知れているので、やはりどうしてもローカルを狙っていかなければならない。 ローカルを狙うためには、まず文化を定着させなければならないと。 しかし、ふりかけを白いご飯にかけて食べるという文化がない中で、その文化を作るというのは大変なことですよね。 ハウス食品も、中国でカレーを認知させるのに7年程度かかっていると思います。 キャラバン隊を作って、団地の下でカレーの試食会を行ったり、作り方を教えたりということをやり続けていました。 ようやく今、浸透したというとても良い事例ですよね。 御社もこれから、もっとこのふりかけの文化を浸透させて、中国で定着させていこうというお考えですね。

稲野: 地道な活動ではありますが、徐々に広がっている手応えはありますね。

森辺: 文化の定着の他に、海外展開の上で課題になっていることはありますか?

稲野: 難しいのは、日本で合格した成分でも、中国では認められないケースが結構あるんですよ。 「緑黄野菜ふりかけ」も日本で販売しているものをそのまま輸出することができないので、中国用にわざわざ作っています。

対談風景 森辺: 食品の原料の問題は大きいですよね。 中国ならNMPA(国家食品監督管理局)の許認可を取るのに1、2年かかるし、日本でいいものが何で中国やASEANでダメなんだろうと思います。 これには外資が参入するハードルを上げるという目的が大きいですよね。

稲野: 難しいところです。 あとは価格ですね。やはり関税と船賃がかかり、向こうの店頭に並んだ時にはもう日本の2.5倍ぐらいの価格になりますから。 そういう意味では、現地の原料を使って、現地の工場で作って、 「日本の企業が日本の衛生管理基準の中で作った商品ですよ」ということをアピールしつつ、現地の適正価格で売れば、 もっと売りやすくなると思いますけどね。

森辺: 今、中国ではアメリカ向けの海苔も生産しているんですか?

稲野: はい。 それと、日本では販売していませんが、袋スナックの海苔てんぷらや、フリーズドライの固形の味噌汁を中国で生産しています。

森辺: なるほど。 じゃあ、まだまだこれから伸びていきそうですね。

稲野: やはり最低でも2、3億円は売上を出したいですね。 もっともっと売っていかないと海外に進出した意味がないですし。 将来的には中国を拠点にして東南アジア辺りにも輸出していきたいです。 ただ、今の中国の協力工場は輸出ライセンスを持っていないので、製造しても中国国内でしか販売できません。 新しい協力工場を探すことも課題の1つになりますね。

海外売上比率50%を目指し、世の中の変化を的確にとらえたチャレンジ

森辺: 御社の10年、20年後の長期的なグローバル市場における展望としては、どのような世界観を描かれているんでしょうか?

稲野: 海外はまだまだやる余地がありますよね。 今、日本における当社の年間売上は180億円近くになりますが、人口から見ると中国でそれだけ売ってもおかしくない数字です。 今、中国の現地法人は中国人3名で切り盛りしています。 3名で年間売上1億円、もう少しで利益が出るというところまで来ているので、やはり日本に並ぶぐらいの売上規模は目指したいですよね。

森辺: 現地で日本語が話せる中国人を採用したんですね。海外売上は日本の10倍あってもおかしくないくらいですもんね。 さらに海外に投資をしていって、目指すは日本と同じ、つまり海外売上比率50%ということですね。

対談風景 稲野: そこまでやれれば、当社はもっと面白い会社になっているはずです。 日本においても今のままで満足していてはいけないので、当面は200億円というラインを目指します。 それを超えて次の300、400億円に向かうためには、今の品揃えでは難しいので、 もっと幅を広げていろいろな商品にチャレンジしていくつもりです。

森辺: 海苔だけじゃなく、周辺の食品にもチャレンジをしていくということですね。

稲野: これまでに世界規模になった食品メーカーさんを見てみると、 祖業といわれるジャンルの商品をきっちり売ることに加えて、祖業以外の商品もかなり伸ばされていますから。

森辺: 海苔は日本の伝統食品であるという、その文化を守りつつも、今流行りの言葉で言うと「トランスフォーメーション」、 今の時代に合った形に変えてフィットさせていくことが必要ですよね。 ブランドは崩さずに、どのようにトランスフォームして利益率を上げるかということがすごく重要。 まさに今、御社はそれに取り組んでいるんですね。

稲野: 世の中の変化を的確にとらえたチャレンジで、社員が一丸となって創意工夫をすることで、 着実に目標をクリアしていくことが明日の成長につながる。 長年培ってきた技術を生かしながら広く世界に目を向け、さらに多くの信頼と共感が得られる商品作りに努めて参ります。

森辺 一樹 (もりべ かずき)


森辺 一樹 (もりべ かずき)

スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長兼CEO
法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科 特任講師

1974年生まれ。幼少期をシンガポールで過ごす。アメリカン・スクール卒。帰国後、法政大学経営学部を卒業し、大手医療機器メーカーに入社。2002年、中国・香港にて、新興国に特化した市場調査会社を創業し代表取締役社長に就任。2013年、市場調査会社を売却し、日本企業の海外販路構築を支援するスパイダー・イニシアティブ株式会社を設立。専門はグローバル・マーケティング。海外販路構築を強みとし、市場参入戦略やチャネル構築の支援を得意とする。大手を中心に18年で1,000社以上の新興国展開の支援実績を持つ。著書に、『「アジアで儲かる会社」に変わる30の方法』中経出版[KADOKAWA])、『わかりやすい現地に寄り添うアジアビジネスの教科書』白桃書房)などがある。