2013年12月25日
働きながら世界一周・序章
子供の頃から旅人だった?
明石家さんまさんに憧れて旅行会社に就職
添乗員でアメリカに出張した事が人生の分岐点
150万円を握り締めていざアメリカへ
当初の予定では1年のアメリカ留学後、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアで働きたいと思っていました。しかし、資金がなくなった私は半年早くオーストラリアに行くことに決意しました。
頼りの先輩は既に退職していた
実は日本の会社を退社する3カ月前にオーストラリアに行って働いている元会社のK先輩から「オーストラリアの会社で働かないか?」とお誘いを受けていた事をふと思い出したのです。
そんな甘い誘いに期待を膨らませ、そのK先輩の会社に入社したいと思い、1994年、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアへ出発準備をすすめていました。
いざ、「オーストラリアの会社で働かないか?」と誘ってくれていた先輩に連絡しました。その頼りにしていた先輩から出た言葉はなんと不運にもK先輩は「会社を辞めた」とのことです。
人生の計画がまたずれてしまいました。「でも仕方ない、そんな甘い話なんてない!」と勝手に自分に言い聞かせました。元来が楽天家なのかもしれません。
私はロサンゼルスから一度日本に帰国し、マイレージで貯めたポイントで成田からバンコクまで飛びました。そしてバンコクの旅行会社でバンコク発バリ経由パース行の航空券を購入して、一路バリへ向かいました。
電話番号だけを頼りにオーストラリアに乗り込んだ
K先輩は、会社を辞めバリに寄ってから帰るということだったのでバリにて待ち合わせをすることにしました。バリで会ったK先輩はちょっとバツの悪そうな顔をしていた事を昨日のように覚えています。
K先輩はシンガポール資本のオーストラリア旅行会社でケアンズオフィスのマネージャーとして従事していたが、社長のオーストラリア地域の経営方針で方向性が異なって辞職を決意したという事でした。
彼のオーストラリアでの人脈から、私のために役に立ちそうな方の名前と電話番号を紹介してくれました。K先輩の知人だけど頼れる人がオーストラリアにいるということは、かなりの安心材料でした。
このK先輩の人脈だけを頼りに少し不安を抱えながらオーストラリアでの就職活動を開始したのです。
ホットホリデー株式会社代表取締役社長
矢澤善夫
神奈川県横須賀市生まれ、城西大学機材学部卒業後、日本の旅行会社に就職し、1994年に渡豪。シドニー、パースを経て、現在はケアンズ在住。
2000年に現地オプショナルツアーを扱う旅行会社をオーストラリアで起業。
2010年より世界各国のオプショナルツアーの販売を開始し、世界の見どころを自分の足を運んで飛び回り中。現在66か国訪問。
経営するオプショナルツアーサイトは現在46か国で展開中で、取扱ツアー件数約4,000件。オプショナルツアー以外にも、ホテル、LCC(格安航空券)の手配も行い、2013年8月に、ドバイ支店開設し、現地では自社日本語ツアーも行っている。
パリ、ハワイなど主要な都市だけでなくアフリカや南米など、ニッチなディスティネーションにも積極的に行き、ツアー情報を収集し、取扱い国、取扱いツアーを、どんどん増やして行きたいと思っている。