ケアンズ発!働きながら世界一周 第1回 働きながら世界一周を夢見て

矢澤善夫
 

働きながら世界一周・序章


ここ最近、年間3カ月程は海外旅行に行く生活周期になりました。
2000年にオーストラリアで旅行会社を設立して海外のオプショナルツアー販売を始めてから、より世界が近くなったような気がします。
海外旅行に行って実際にその場所を目で見て、そこで暮らしている人と触れ合い、こんなところを他の人にも知ってもらいたい、行ってもらいたい、という思いからその旅は継続している。
なぜオーストラリアに移住するようになったのか、そのきっかけを振り返ってみたいと思います。

子供の頃から旅人だった?


子供の頃から好奇心旺盛で、いつも新しい場所に行って興味のあるものは母親に質問ばかりしていました。小学校低学年の頃、目の病気で自宅の久里浜から30分かかる横須賀に通院していました。母親を連れずに1人で行くことをきっかけに、その後は通院でなくてもちょくちょく横須賀でラーメンを食べたりデパートに行ったりしました。中学になると原宿など東京方面へまで足を延ばすようになっていました。
高校は部活に励んだため、旅行はお預けだった。
大学時代はアルバイトに明け暮れていて、1年目は生活費だけでなく、バイクを買うために授業以上にアルバイトに打ち込み、2年目は車が欲しくなりよりアルバイトに励んだ覚えがあります。
春休みや夏休みなどは必ずバイクか車で友人と遠乗りをし、また冬休みは毎週のようにいろいろなスキー場に行った記憶があります。
こう振り返ると私は学生時代から旅行が好きだったようです。

なぜ、旅行が好きなのか? 
旅行の目的地まで行く過程が好きなのではなく、目的地にある今まで見たことのないもの、そこに住んでいる人、食べ物、売っているもの、物価などに興味を持ち、そこで経験できることにワクワクするからです。

明石家さんまさんに憧れて旅行会社に就職


そんな私も就職活動では、当初「趣味と仕事は別がいい」と誰かに言われていたことを思い出し、当時給料がよかった証券会社を回っていました。
でもその当時「男女7人夏物語」が非常に流行していました。記憶に残っている方も多いでしょうが、ドラマで主人公の明石家さんまさんが、旅行会社に勤めていて添乗で出張も多い役を演じていました。
そんなドラマの主人公の職業に憧れを抱いたと共に、私自身も好奇心が旺盛で旅行が好きだったことを思い出し、就職活動を改めて旅行会社1本に絞りました。
ドラマの影響を受けて就職活動をする業種を変更してしまったというなんとも適当な判断です。
でも今は明石家さんまさんに心から感謝しないといけないような気がします。

添乗員でアメリカに出張した事が人生の分岐点


就職活動の結果は念願の旅行会社に就職が決りました。業務内容は営業、手配が中心でしたが添乗勤務で海外出張も多くありました。
中学・高校と私は日本に住んでいる日本人だから「英語は必要なし」と開き直っていました。そんな私が海外添乗に3カ月に1度出張して、本当にコミュニケーションの大切さを知りました。
特にカルフォルニア州立サンタクララ大学での夕食会で各テーブルに現地の教授が同席した時、お客様は当然添乗員が英語を話せると思っており、私に通訳をして欲しいしぐさをされました。私がおどおどしていると、同じテーブルで英語が話せるお客様が通訳してくれたので助かった経験があります。
その時は肩身が狭く、海外に行って人とコミュニケーションをするには「英語は必須」と実感しました。お客様から見たらいくら若くて新米添乗員だったとしても、お客様を誘導する立場である添乗員は英語が流暢に話せると思われるのは当たり前だと思います。幸いにも研修旅行のお客様は社長、部長などの役職クラスの50歳以上の大人の方々だったので、英語の出来ない私を責める方はその当時いなかった事がせめてもの救いです。
相手の言語を知らないとコミュニケーションは取れない、それには英語が必須だと深く反省しました。

150万円を握り締めていざアメリカへ


この事がきっかけで英語を学びたいという向上心と、海外への好奇心から、社会人の3年間に貯めた150万円の自己資金を使って、アメリカ・西海岸語学留学を決意しました。
留学先はロサンゼルスから車で内陸に約2時間のカルフォルニア大学リバーサイド校にしました。4人家族の一軒家にホームステイをしながら、語学力向上に励むことにしました。渡米2カ月が過ぎると生活にも慣れてきて、週末は必ずロサンゼルスのハンティントンビーチなどに行きサーフィンに明け暮れました。勉学のみでアルバイトもしなかったので収入ゼロ、半年で留学資金が底をつきました。





当初の予定では1年のアメリカ留学後、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアで働きたいと思っていました。しかし、資金がなくなった私は半年早くオーストラリアに行くことに決意しました。


頼りの先輩は既に退職していた


実は日本の会社を退社する3カ月前にオーストラリアに行って働いている元会社のK先輩から「オーストラリアの会社で働かないか?」とお誘いを受けていた事をふと思い出したのです。


そんな甘い誘いに期待を膨らませ、そのK先輩の会社に入社したいと思い、1994年、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアへ出発準備をすすめていました。


いざ、「オーストラリアの会社で働かないか?」と誘ってくれていた先輩に連絡しました。その頼りにしていた先輩から出た言葉はなんと不運にもK先輩は「会社を辞めた」とのことです。


人生の計画がまたずれてしまいました。「でも仕方ない、そんな甘い話なんてない!」と勝手に自分に言い聞かせました。元来が楽天家なのかもしれません。


私はロサンゼルスから一度日本に帰国し、マイレージで貯めたポイントで成田からバンコクまで飛びました。そしてバンコクの旅行会社でバンコク発バリ経由パース行の航空券を購入して、一路バリへ向かいました。



電話番号だけを頼りにオーストラリアに乗り込んだ

K先輩は、会社を辞めバリに寄ってから帰るということだったのでバリにて待ち合わせをすることにしました。バリで会ったK先輩はちょっとバツの悪そうな顔をしていた事を昨日のように覚えています。


K先輩はシンガポール資本のオーストラリア旅行会社でケアンズオフィスのマネージャーとして従事していたが、社長のオーストラリア地域の経営方針で方向性が異なって辞職を決意したという事でした。


彼のオーストラリアでの人脈から、私のために役に立ちそうな方の名前と電話番号を紹介してくれました。K先輩の知人だけど頼れる人がオーストラリアにいるということは、かなりの安心材料でした。


このK先輩の人脈だけを頼りに少し不安を抱えながらオーストラリアでの就職活動を開始したのです。

 
 

矢澤善夫

ホットホリデー株式会社代表取締役社長
矢澤善夫

神奈川県横須賀市生まれ、城西大学機材学部卒業後、日本の旅行会社に就職し、1994年に渡豪。シドニー、パースを経て、現在はケアンズ在住。
2000年に現地オプショナルツアーを扱う旅行会社をオーストラリアで起業。
2010年より世界各国のオプショナルツアーの販売を開始し、世界の見どころを自分の足を運んで飛び回り中。現在66か国訪問。
経営するオプショナルツアーサイトは現在46か国で展開中で、取扱ツアー件数約4,000件。オプショナルツアー以外にも、ホテル、LCC(格安航空券)の手配も行い、2013年8月に、ドバイ支店開設し、現地では自社日本語ツアーも行っている。
パリ、ハワイなど主要な都市だけでなくアフリカや南米など、ニッチなディスティネーションにも積極的に行き、ツアー情報を収集し、取扱い国、取扱いツアーを、どんどん増やして行きたいと思っている。

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