ピアニストが経験したグローバルな世界 第1回 目的地を知らされずに出発したイタリア留学

福田里香
 

大学卒業時までは海外渡航には無縁な私であったが…


2013年7月、セルビアで開催された国際ピアノ会議に招待参加をして、ピアノレクチャーリサイタルをした。同じ年の10月に、サッカー日本代表がセルビアで親善試合をしたノヴィ・サド市の音楽院ホールが会場だった。

 

これまでに、留学したイタリア、イギリス、住んでいたアメリカ、演奏旅行や国際文化交流事業で関わったアジア圏の国々など、私は海外に御縁が深い生活を送っている。しかし、私が海外に初めて出かけたのは、社会人になってから自らのリサイタル収入で行った激安ヨーロッパツアーであった。

 

イタリア留学は、海外との縁深い人生を送ることになった原点だったと思う。まずは、イタリア留学の話からご紹介したい。


海外旅行が身近になった今でも、パック旅行を利用する人はまだまだ多いと思う。予算が許せば、添乗員付きの旅行がいい、と考えている人も結構いるだろう。

 

しかしながら、私は、イタリアでレッスンを受ける場所となる、師事する先生宅の住所を知らされずにイタリア留学に出発した。住所はおろか、エリアさえ大雑把にしか知らされなかった。それは、実際に現地でのレッスン受講後の今でもわからない。大方の場合、安全策をとって確実な留学先に変更するのかも知れないが、師事したい先生を崇拝していた20代の私は、まずはミラノに直行した。

 

K.U.シュナーベル先生のこと


師事を希望していた、NYマンハッタン音楽院教授、K.U.シュナーベル先生は、ベートーヴェンの大家として知られるアルトゥール・シュナーベルの御長男で、やはりベートーヴェンに特に造詣が深く、世界60カ国以上の国々でマスタークラスを持つ程の大家であった。

 

「今はNYにいるけれど、あなたがレッスンを希望する時期にはイタリアの別邸にいるからイタリアに来なさい。イタリアでは郵便物は受け取らない。よって住所は公開していない。ミラノに着いたら電話しなさい」とのこと。Who’s whoで調べて老教授のNYのお住まい宛てに手紙を書き、直筆の手紙が来て師事する許可は得たものの、すこぶる心もとない状態であった。老教授からすれば、本当に日本から来て師事したいのか?覚悟を試す部分もあったに違いない。

 

ミラノ中央駅付近で迷子に


個人旅行は初めてだった私は、ミラノのマルペンサ国際空港から這う這うの体でリムジンバスに乗り込み、ミラノ中央駅に到着、その壮麗さに目を見張った。バスで一緒だった、パドヴァ大学研究員と言う日本人ファミリーと別れたら、一人ぼっちになり、簡単な地図を片手に、駅前ホテルのはず、で予約したホテルを探して歩き始めた。しかし、ミラノ中央駅は今まで見たこともない規模の大きさで、いったい何処までが駅なのか?わからない。駅に対してどの方向にいるか?も不明だった。(後年知るが、巨大さで驚いた出入り口は、ミラノ中央駅の側面口だった)しかも、陽はどんどん傾き、辺りは暗くなって行く。夕闇迫り、このままでは危ないとの思いと心細さが一気にこみ上げてきた。


歩き回るだけでなく、尋ねても大丈夫そうな雰囲気の人にはホテルの場所を聞き回っていた私だが、イタリア語がほとんどできないので、既に10人以上ににべもなく追い払われていた。そこへ幸い、買い物袋を提げた近所の人と思しき小柄な年配女性が通りかかり、英語を解するようだった。最初にイタリア語で声をかけ、それから英語で話しかけた私に応じて、地図上の現在位置を教えてくれてホテルに至る道を指し示してくれた。該当ホテルは、わかりにくい場所にある小さなホテルだったが、お陰で程なく最初の晩に泊まるホテルに無事辿り着くことができた。

 

勇んで老教授の別邸に電話


電話せねば、電話せねば。荷をほどく間もなく、老教授と話すだろう英会話を、受話器を取る直前まで繰り返し練習した。そして、いよいよ始まるイタリア留学本番への高まる思いから、緊張した面持ちで、老教授から指定されていた電話番号を震える指でプッシュした。プープー、プープー、プープー…呼び出し音が続くが誰も出ない。番号を押し間違ったかな?と何度か注意深くかけ直した。その後、時間をおいてかけてみても同じ。

 

外出中か、と思い当たると、急に空腹感が切迫してきた。ロビーまで降りていくと、レストランの営業は既に終わっていた。もう空腹と疲労で頭はくらくら、体はふらふらで倒れそうだった。バーはやっていたが飲み物のみの提供とのこと。ようやくナッツの小袋を二つ入手し、僅かに空腹をなだめた。


気を取り直して受話器を握ったものの、もう午後11時過ぎ。次の日の午前中には老教授の別邸にアクセスし易い、別の町へ列車で移動することになっていた。遅い時間だが仕方ない。深呼吸をして、受話器をとって、ゆっくり確実に電話番号をプッシュした。祈るような気持ちで、電話機にお辞儀をした格好で繋がるのを待った。期待と不安で胸の鼓動が高まる。

 

しかし、受話器の向こうでは、プープー、プープー、プープー、プープー、プープー、プープー…呼び出し音が鳴るばかり。ミラノの夜は更けて行った…


 

 

 

 

 
 

福田里香

WPTA国際ピアノコンクール公式審査員
福田里香

国産ピアノ製造黎明期に横浜にてピアノ製造に携わった大伯父の影響で、幼少よりピアノに親しむ。国内で2種類の学士号を取得。群馬県新進芸術家海外研修生としてイタリア留学、K.U.シュナーベル教授に師事。イタリアから帰国後は演奏活動、指導の場をを日本のみならず台湾に広げる。
 米国西海岸に在住後、英国RCM奨学金を得て、チャールズ皇太子が名誉総裁を務められる、英国Royal College of Music, London大学院課程に留学、2001年に同大学大学院課程修了。帰国後は、財団法人ヤマハ音楽振興会本部勤務を経て、「横浜開港150周年記念ピアノコンクール&フェスティバル」「日タイ音楽家交流 in Bangkok」(いずれも、外務省:日メコン交流年認定事業)を代表とする国際交流活動に熱心に取り組む。
 これまでに国内外7カ国で演奏。2013年、国際ピアノ導者連盟主催の国際ピアノ会議(セルビア)招かれ、レクチャーリサイタルを開催。セルビアの楽曲にもレパートリーを広げる。
 また、国際コンクールを含む、複数のピアノコンクールの審査員を歴任。現在、WPTA国際ピアノコンクール公式審査員。

あと、参考なりそうなページのリンクをはっておきます。
今夏招待参加した国際ピアノ指導者会議(セルビア)参加レポート
http://www.piano.or.jp/report/04ess/itntl/2013/09/06_16539.html
文藝教室ちえのわ講師紹介
http://chienowa-bungei.com/index.php?page=music

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