ど素人がビジネスを泳ぐ!
感性空間・オフィス平野 元ヤクルト(株)専務取締役 平野博勝
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第1回 フリーターは生活に大忙し!
私は昭和30年代に早稲田の第一法学部に入学した。 親父が「将来弁護士にでもなるなら金を出そう!」と言ったからである。 熊本の田舎町で小さな雑貨屋をしていた親父から見れば東京の大学に倅を行かせるという事は経済的に大変な事であったに違いない。 その倅は兎に角「東京に憧れ、東京の大ロマンの渦に巻き込まれ、凄い美人と大恋愛をしたい!」と高校の図書館で読みあさって来た小説にカブれていたのだ。 だから東京に来ても法律の勉強などしやしない。学校にも殆ど行かずパチンコ屋に入り浸りの生活だ。夢に描いた美人程ではないが女子大生と仲良くなり同棲生活はする、まるで南こうせつの「神田川」の世界である。 ところが そんな私の生活ぶりが熊本でも噂になり、爪に火を点す思いで仕送りをしていた親父が怒り心頭に来て仕送りをキッパリと止めてしまつた。いわゆる勘当である。 私は成長著しい元気な「ヤクルト」と言う会社の九州支店セールス部隊に縁あって入社した。早稲田卒業後8年、フリター平野の初めてのサラリーマン生活のスタートである、 私のサラリーマン生活は前歴が前歴だけに 学卒後そのまま会社入りした「ネクタイ族」とチョット毛色が違つていた。
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第2回 サラリーマンにはサラリーマンの世界と言葉がある
前回、せっかく憧れの東京に出て、角帽を頭にのせる資格が出来たのに親父から仕送りを完全に止められて自分の口を養い、寝る所を確保しなくてはならなくなった事について自己紹介を兼ねて書いた。口を養う為には仕事をして金を稼がねばならない、結果①学校に行く時間が全くなくなった。②勉強どころではなく授業に出ない学生となった。③学内のクラブなどに参加しない、だから学友も居ない孤独な生徒となった。④その代り寝る所がわりの名曲喫茶店に多種多様な職業の友人を持てた。 まあ全く勉強しない学生になったのである。時間単価が良く、寝るとこを心配する必要のない仕事ならすぐ飛びついた。夜警、土方の飯場生活、寮・食付きの名曲喫茶店のボーイ、寮有りの運送屋の運転手、青森のリンゴ農園の住み込み手伝い等々である。最後は収入の良いペンキ職人である。
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第3回 新入生研修がきっかけで本社勤務に
8年間のフリター生活からヤクルトと言う会社に入り 始めてネクタイを締めたサラリーマンになった平野は 土方や運転手、喫茶店のボーイそしてペンキ屋などの事は知っているが、会社と言う組織の事やルール、礼儀作法の事はトンと知らない。 大学の法学部を卒業して期待される知識も何しろ学校にも行かず、授業にも出ていない平野にはそんな知識もない。 兎に角有能なサラリーマンとしての能力や“専門分野”が無いので先輩や上司の指示通りに動かざるを得ない。
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第4回 《事実》は常に変化している
<企画・計画部門とは?> 組織機能を全体として見えるようにする。という意図のもとにヤクルト本社の中に「企画室」を立ち上げ社長直轄スタッフ部門がスタートした。 他社の企画室がどんな事をしているのかを調べた所、どうも企業全体のヴィジョン作りや長期計画策定をやっているようだ。 平野が研修で社長に質問し、回答を得られなかった「若い社員が銭金抜きに熱中出来る組織の将来方向」を検討するための機能らしい。
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第5回 組織の裏道業務を学ぶ
<組織の裏道業務> 企業の組織活動を一つの目的に向かつて、全体として機能させるという事でヤクルト本社内に「社長室」が出来た。 が社長室機能の中で企画室時代になかった機能に、専務以上のトップ役員の「特命事項」があり、この仕事は高い機密性 のある政治的目的が隠されている。当然同僚その他の者に口外出来ない内容である。 そのような機能は良きサラリーマンの受けた教育のラチ外の考え方や発想、知識が必要になる。 フリーター上がりの平野はよくこの特命事項をやらされた。 組織の混乱要素の中に入り込み、誰も平野の赴任の真意を知らずに通常の赴任のように振る舞い乍ら本社路線を歪める要因の原因を是正し、 ある時にはその組織の責任者の首を挿げ替える事をやらねばならない。 それを大体2年ぐらいの短期赴任の内にやり遂げまた社長室に帰ると言う業務である。平野のやった事は誰も知らない、ごく自然の成り行きにしなければならない。 そんな事を何度かやらされて平野は「企業が大きな組織になって行く過程にはこんな隠された機能も必要なのだ!」という事を学んだ。
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第6回 ヤクルトの創業者はユニークな学者だった
実はヤクルトの創業者代田稔は日本の細菌学者としては1945年以前、戦前から京都大学の研究者として名を知られていた。 と言うのもその頃の細菌学というのは普通「病原性細菌の研究」、毎年定期的に人々を襲う赤痢や疫痢、チフスのような集団発生の原因となる細菌の研究が主流の中で代田の研究はユニークであった。 即ち 彼の研究は「腸内菌叢」、人の腸内に住み着き人の健康状態と関わり合っている菌叢の研究で 言葉を変えると病原性ではなく「優良性菌」人の腸内で健康に良い役割を果たしている細菌の研究だったのだ。時流とは異なるユニークな研究分野だった。 彼は当時の主流であった「治療医学」ではなく「予防医学」の考えを主張した。 「病気になってから治療するのではなく病気にならない体、なりにくい体を作る事の方が大事だ!」の主張である。
感性空間・オフィス平野元ヤクルト(株)専務取締役
平野博勝
■早稲田大学第1法学部卒業 熊本県出身
就職による“束縛”が嫌で‘プー太郎’として土方やトラックの運転手、喫茶店のボーイ、最後にペンキ職人になる。 今で言う‘フリーター’の草分け?
■メシを食うのにはサラリーマンが一番楽と分かり、ヤクルト九州支店に
「セールス部隊要員」として中途採用される。43年よりヤクルト本社採用になり、各部門、支店業務そして国内ヤクルト販社の経営実務を体感学習していく。
■経営危機に陥入つたフィリピンヤクルトの再建のため
経営執行副社長として経営の立て直し業務に入る。以後各国のヤクルト事業の再建や世界各地での新規事業所設立を手がける。ヤクルトの“再建屋”の異名を頂戴する。
■ヤクルト本社 59年取締役就任、61年常務取締役就任
以後ヤクルトの国際事業を統括しながら海外各地に事業所の新規設立を進めたり既存事業所の経営改革をする。
■海外現地法人の社長、会長などを歴任。
■ヤクルトの‘世界ブランド化’‘世界企業化’戦略を進める。
■平成15年(株)ヤクルト本社専務取締役国際事業本部長を退任
(株)ヤクルトライフサービス代表取締役社長、(社)日本マーケティング協会
常任理事などを歴任。大学や企業の経営者研修や経済関連団体での講演などを行う。
■平成16年 アジア人として初めて仏食品大手であるダノン本社の社外取締役に
就任。年6回程パリの取締役会に出席する。ついでにヨーロッパ各国の人達に日本の経営や文化、ヤクルト哲学などについてレクチュアしたり議論し合う。
■平成20年 全ての職を辞し、「感性空間・オフィス平野」を設立。
いわば「頼まれごと引受業」として様々な大学で講演講義をしたり、企業の経営相談に乗つたりして現在に至る。
[好きな事]
列車など乗り物に乗り。ビールやワインを呑みながら、その国の美味を肴に 外の景色をボケーッと眺めている事は最高である。だからヨーロッパでは飛行機を使はず、列車のみを使う。
また休日は寝転がり、煎餅を齧りながら、音楽を聞きながら、本を読みながら、いつの間にか寝てしまうことに‘人生の充実観’を感じる。