2014年11月8日
アフリカに行くと心が強くなる
( 図太くなるという言い方の方が正しいかもしれないが )
予測不可能なことが度々降りかかってくる環境だからこそ、本来なら驚くべきことでさえも動揺せずに淡々と受け入れられるようになっていく。今回は私が人間の『慣れ』の力を知った国、"スーダン"について少し話してみたいと思う。
ヤツらとの邂逅
まず最初に私がスーダンで慣れたものがゴキブリだ。
ココはアフリカ。ホテルの部屋にイグアナが現れようが、ゴキブリや異体の知れない虫が出てこようが何ら不思議ではない。しかし、私が通された部屋には先客のゴキブリがざっと数えただけでも140匹はいた。※数えた
珍しく「 部屋に冷蔵庫がついてるー! 」なんて少し興奮気味に冷蔵庫を開けてみれば6匹のゴキブリが冷蔵庫の中で忙しなく動き回っていた。日本人の私には何故、冷蔵庫という空間にゴキブリがいるのか理解できず、無表情で冷蔵庫の扉をパタンと閉めたのを今でも覚えている。
( 冷蔵庫は食品を保存する箱ではなく、ゴキブリの飼育場所だったっけ?)と、改めて冷蔵庫本来の用途を思い出しながらトイレへ行き、便座に座った。が、直ぐに立ち上がった。
この時、初めて私は自身の”尻”で何かが迫りくる恐怖を感じとった。
恐る恐る便器の中を覗きこむと、そこには4匹のゴキブリが便器の中をソワソワと歩き回っていた。このゴキブリがまた凄くて、何度水を流しても水流に耐え抜く。たまに流されるヤツもいるが、それでも必ず這い上がってくるヤツがいることを私はこのスーダンで知った。
ヤツらの生命力に完敗した私は気分転換する為にシャワーを浴びることにした。
シャワーハンドルの真横にもヤツは居たが、そこは見て見ぬふりをし、シャワーを浴び、頭を洗っていた。すると、いきなり私の頭の上に何かが天井から落ちてきた。嫌な予感は的中した。咄嗟に振り払ったが、ボトンと私の足元に落っこちてきたのはまたもやヤツだった。
( この部屋はゴキブリだらけで私の居場所はない。少し外へ出よう )と、ドアノブに手を伸ばした瞬間、ドアノブが外れて床に落っこちた。部屋の中にある電話でフロントに電話を掛けてみるも何故か繋がらない。何度かけても繋がる気配がない。電話が故障している。同じフロアに誰か居ないものかと何度も大きい声を出してはみるが、誰もいない。
完 全 に ゴ キ ブ リ 部 屋 に 閉 じ 込 め ら れ て し ま っ た 。
全ての気力を失い、ベッドに横たわり、部屋を見渡してみた。床や壁だけでなく、私のカバンやカメラの上にもヤツらが乗っかっていた。人生でこんなにゴキブリを見た日はなかったが、もう驚く気力も体力も無く、私は目を閉じて眠りについた。
そして朝、目覚めると枕元にヤツがいた。
( 起こしにきてくれてありがとう。でも私はもうちょっと寝るよ )とアイコンタクトを送りつつ、2度目の眠りに入ろうと体勢をかえ、枕の下に手を入れると何かが手に当たった。そう、1匹のゴキブリが死んでいた。寝る時にそれはなかった。きっとヤツはこの部屋に閉じ込められた私を気の毒に思い、添い寝をしてくれたのだろう。しかし、寝相の悪い私に潰されてしまったのだろう。ヤツには悪いことをしてしまった。
12時間前まではこの凄まじい数のヤツらに鳥肌を立て、この部屋に閉じ込められたことに不快感さえ感じていたのに、たった12時間で私はヤツらと心を交わし、その一生に同情するまでに達した。人間の『慣れ』ほど恐ろしくも、たくましい力はないのだ。
煮え立つ泥水
そしてスーダンで慣れたことの2つ目が、日本人とかけ離れたアフリカ人独特の感覚だ。
「 アフリカの普通の家に住んでみたい 」と話していた私を喜ばせようとスーダンでの通訳Mahmudが、知人から砂漠の真ん中にある空き家を借りてきてくれたことがあり、そこでMahmudと数日間の共同生活を送った。料理担当は彼だった。しかし、彼は料理が得意ではないらしく、初日の夕飯に出されたのは大量のゆで卵だけだったのが衝撃的だった。
その翌朝もMahmudはまた朝から大量のゆで卵を作っていた。
この時、私が驚いたのはその卵の数ではなかった。昨夜は暗かったから気付かなかったが、彼がゆで卵を茹でていた水は凄まじく濁った泥水だったのだ。生まれて初めて見る沸騰した泥水に驚きを隠せない私に対し、彼はこう言ったのだ。
「 何か問題でもある?気になるならnagiのは洗ってあげるから気にすんなよ 」と。
( もしや‥‥ )とは思ったが、私の予感は的中した。そう、彼はゆで卵の殻をむいた後、その卵を泥水で洗っていたのだ。泥水で茹でて、食べる前に綺麗な水で洗うと言うのならばまだ分からなくもないのだが、泥水で茹でて、泥水で洗うというのはどうなのだろう。
以前、エチオピアでも食べる前に手をキレイに洗え!と言われ、何故か泥水で手を洗わされたことがあったのだが、これらの場合、洗わない方がよっぽど衛生的だと日本人の私は思ってしまう。
しかし、ココはアフリカ。
泥水で卵を茹でて、泥水で卵を洗う彼を不信な目で見つめる私に、彼はこう言い放った。
「 同じ水だぜ!?濁っているか濁っていないかの違いだろ!?
何か問題が起きたとしても、どうせ腹を壊す程度だろ。トイレ行きゃーいいだけの話だろ。気にすんなよ 」
この発想、今までの私には無かった。
私はスーダンで”気にしない”ということを学んだ。つまりアフリカの環境に『慣れ』たのだ。
彼らの環境に慣れることこそアフリカ人とスムーズにやっていける一番の近道であり、アフリカで耐え抜くための最良の知恵だということ。そして何よりも自分の心を穏やかに保つ方法だということを。
この後、Mahmudが鼻歌まじりで紅茶を泥水で淹れはじめたのは言うまでもない。
フォトグラファー
ヨシダナギ(nagi yoshida)
1986年生まれ、フォトグラファー。
幼少期からアフリカ人に意味の分からない憧れを抱き「自分も大きくなったらアフリカ人のような姿になれる」「彼らと一緒に同じ生活が出来る」と信じて生きる。
イラスト・写真を独学で学び、2006年よりイラストレーターとして、2009年よりフォトグラファーとして活動。アフリカからインスピレーションを受けた独特の色彩感覚と世界観、ユニークなタッチが欧米のアニメーションスタジオなどから評価を受け、2011年頃からは国内外問わずキャラクターデザインをメインに活動中。イラストを描く傍ら、アフリカや発展途上国に訪れ少数部族などのポートレート写真を撮り始める。大使館後援イベントへの写真展示オファーを機にフォトグラファーとしての仕事を確立。現在は海外でポートレートを撮りながら、アーティストやモデルの宣材写真などの撮影も行う。今夏(2014)、第一弾写真集を発表予定。
WEB SITE : http://nagi-yoshida.com/
BLOG : http://ameblo.jp/bohemiandays/
Twitter : @nagi_yoshida