2015年5月11日
およそ170ヵ国もの人が暮らす国際都市チューリヒ。
その郊外の緑豊かなアドリスヴィルでセラピストとして活躍するのが今回のコスモポリタン向井弘美さんだ。
留学先のカナダで恋におち、「とにかく好きな人と一緒にいたい」という強烈な思いでスイスに来たのは15年前。4つの公用語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)があるスイスで言葉の壁に苦しみながらも懸命に働き、子育てをしながらマッサージの技術を身につけた。
今では文字通り「自分の腕」で勝負し、チューリヒの金融機関で働くビジネスパーソンを中心に多くの顧客を持つ。
キャリアのスタートは「全くの異業種」から
そんな彼女の人生で興味深いのは、「あきらめ」をきっかけに人生が大きく切り拓かれてきたということだ。
キャリアのスタートはスイス人男性と結婚した直後の22歳。チューリヒから車で約3時間の場所にあるサンモリッツのホテルのレセプションだった。
「スイスに来てすぐに仕事が得られたのは本当に幸運でした。ホテル業界のことを何一つ知らなかった私をよくとってくれたなあと今でも思います」
観光地のサンモリッツには当時、日本人観光客が数多く来訪。向井さんはレセプション業と並行して添乗員や通訳としても活躍した。
だが、一方で「夏と冬のシーズンが終わるとホテルは閉まり、何もすることがなくなってしまうんです。街からは一気に人がいなくなってしまう感じでした」と向井さん。
そんな状況を打開しようと2000年、彼女は夫の出身地であるチューリヒに移り住んだ。
「あきらめる」ことで見つけた天職
意気揚々とリスタートを切ろうとした彼女だったが、引っ越してきて初めて重要な問題に気付く。
「観光客は思いのほかチューリヒを訪れず、国内の他の観光地へ行ってしまうんです。だから必然的にホテルなど観光業のニーズや求人がなかなかなくて」
いったい自分の何が他のヨーロッパ人より優れているのか。
キャリアを再考せざるを得なくなった向井さんは、否応なしにこの問いを突きつけられた。
悶々とした日々を送るなか、うっすらと見えてきたのは「日本人らしさ」を生かせる仕事だった。
「スイスで暮らすなかで、私たち日本人は繊細さや感受性が飛び向けていることに気付いたんです。たとえば私は落ち込むと黙ってしまうタイプなのですが、こちらでは自分から口に出さないとなかなか助けてくれない。彼らに言わせると『弘美から話してくれないとわからないよ』で終わってしまう(苦笑)でも、これが日本人だったら、私のちょっとした表情や話し方で『なんとなく元気ないな』『どうしたんだろう』と気付いてくれる。声をかけてくれる。 私が言葉に出さなくても。日本人は他国の人に比べて、先を読んで何かを用意したり、何も言わなくても理解したりする能力が非常に長けていると強く感じました」
さらに突き詰めて考えたとき、「日本人らしさ」「自分らしさ」を最大限に生かせると思ったのは「手に職をつけること」だった。そこで彼女はかねてから興味があったリフレクソロジーの専門学校へ。並行して中国整体も学んだ。子どもを託児所に預けながらの数年。向井さんにとってチャレンジだった。
「人の肌に直接触れて何かを感じ、施せるのは東洋医学の強みだと感じたんです。日本の指圧もそう。けがをしたときに「手当てする」と言いますが、実際に手を当てると落ち着きますよね。道具は何もいらないし、コンピューターももちろんいらない(笑)この先、もしスイスを離れることになっても私の手さえあればどこでも世界中の人達に手当てをできる─そう思ったんです。でも、じゃあ東洋医学が完璧で西洋医学がダメかというと、それも違うと感じました」
東洋医学にも西洋医学にもどちらにも良い面がある。だから両方を学んで、組み合わせることがその人その人にあったセラピーにつながると思った。
「あきらめる」ことで見つけた自分だけのフィールド
親しんだホテルの仕事を「あきらめる」ことで見つけたセラピストへの道。しかし、すぐに仕事になったわけではなかった。「最初は全く働き口がなかった」と向井さん。夢を描きつつも、現実的に「セラピスト以外」の仕事に就こうと動いた。
「夫が自営業だったので、事務関係や経理を学べば、家でも仕事が手伝えるなと思ったんです。だからそれらを学べる学校に行きました。でもいざ勉強してみると、事務処理や経理はどれも専門用語ばかり。いろんな可能性があるかなと思ってトライしたけど、私のドイツ語の能力では残念ながら厳しかった」
日常生活は問題なくとも、ビジネスの世界で求められる語学力は全くの別物─このことを向井さんは痛いほど感じた。
「業務上の会話やビジネ文書の作成は、ノンネイティブの私が彼らと同じレベルで遂行することはどうしても難しいと感じたんです。もしこなそうと思ったら、現実的にネイティブのサポートは不可欠になってしまう。これでは仕事にならないなって……」
厳然たる壁を前に向井さんが取った行動は、またしても「あきらめる」ことだった。越えられないハードルを越えようとするのではなく、「私には他にできることがあるはず。ネイティブじゃないとできない業務は、『それが』できる人に頼めば良い」と、彼女はこだわらなかった。
逆転の発想が、結果的にセラピストへの道筋を鮮明にした。それは、「できるだけ静かでプライベートな空間をつくり、その人に寄り添ったセラピーをする」というものだった。
そんなタイミングとあいまって、向井さんはフィットネスクラブ内でのセラピストの募集を知り、ついにセラピストを「仕事」にする。西洋医学と東洋医学を統合した彼女のセラピーは、世界屈指の金融センターで働くチューリヒのビジネスパーソンの間で評判になり、「自宅でセラピーをしてほしい」というニーズも増えていった。
「リーマンショック以降、この街で働く金融関係の方はすごいプレッシャーを持つようになってしまったと感じます。常に誰かと競わなきゃいけないというか、1番でなきゃいけないという感覚とでもいうのでしょうか。チューリヒは世界中のビジネスパーソンがしのぎを削る場所なので、ぴりぴりした環境でビジネスをしている人がとても多いんです」
チューリヒの厳しいビジネス環境が、結果的に「癒やし」のマーケットを拡大させていると彼女はいう。当然この街にはセラピストも多い。しかし、日本人・向井弘美の「寄り添う」セラピーは異彩を放ち、ライバル達がひしめくフィールドに、そもそも立っていない。
あきらめたからこそたどりついた天職がある。
あきらめたからこそ見つけられた誰にも邪魔されない自分だけのフィールドがある。
この街で多くの顧客に愛され続ける彼女と話しながら、そんなことを考えさせられた。(了)
※今回のインタビューは、音声マガジン『コスモポリタン』でもお聴きいただけます。
■ お知らせ
このコラムと連動した月刊オーディオマガジン『コスモポリタン』のスペシャルトークライブを、5/20(水)に東京・青山で開催します!
『コスモポリタン』は、僕早川洋平自身が毎月世界に飛んで「大好きなこと」をし続けて豊かな人生を送っている方のインタビューを通じて「夢を叶える」ためのヒントをお届けする音声マガジン。本スペシャルライブでは、実際に海外からコスモポリタンをお招きして、来場者のみなさんに「大好きなことをし続けながら世界を生きる」とはどういうことか?生で触れる機会にしていただけたらと思います。
今回のゲストは香港とフランスで活躍する石井里枝さん。スカルプケアやヘアケアで有名なジョジアンヌロール本人から直接、技術指導を受け、アジア唯一の公式トレーナー・販売代理人としてフランス本部から認定されたヘアケアのスペシャリストです。昨年のコスモポリタンライブに来て下さった方にも、今年初めてという方にも、お目にかかれるのを楽しみにしています!
プロインタビュアー
早川洋平
新聞記者を経てプロインタビュアーに。2008年、インターネットラジオ番組「キクマガ」をスタート。よしもとばなな、加藤登紀子、茂木健一郎、高城剛ら150人以上のゲストが出演、年間200万ダウンロード超の番組となった。
近年は、ユニクロやネスカフェなどグローバルブランドのCM等にもインタビュアーとして携わる。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューする月刊オーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。世界各国での取材活動に精を出している。
代表をつとめるキクタス株式会社では、企業・機関・個人のメディアを創出するプロデューサーとしても活動。中核となるポッドキャスト配信サービスは、公共機関、教育機関、企業、マスコミ、作家などに広く活用されている。
キクタスから配信されるインターネット番組のダウンロードは毎月約200万回超。全世界での累計視聴回数は7,000万回を超えている。「横浜美術館『ラジオ美術館』」「鳥越俊太郎のニュースの職人チャンネル」「伊藤忠商事『THE 商社マン』」などプロデュース多数。
YOHEI HAYAKAWA.COM
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