2015年6月5日
ホテル「シャングリ・ラ 台北」高層階のエグゼクティブルーム。台北市内を一望できる最高のロケーションだというのに、僕はまるでそれを楽しめないでいた。
それは、これからはじまるのがバカンスではなく、「インタビュー」だからだ。
これから会うのは、台湾で外国人として初の文学賞を受賞した日本人作家。「気むずかしい方だったらどうしよう」と気を揉む僕が、眼前と広がる絶景を楽しめるはずもなかった。
しかし、その不安は、対面してものの数十秒で杞憂に終わることになる。
作家のイメージを覆す「コミュニケーションの達人」
木下諄一さん。台湾歴およそ30年の彼は、作家という言葉が持つ「堅い」「近寄りがたい」というイメージとはほど遠く、むしろその逆。初対面にもかかわらず、僕の不安をやわらげるかのように話しかけてきてくれた。瞬く間に緊張の糸がほぐれていくのが自分でもよく分かった。
ほんとうに話しやすい人だ。自分が聞き手だったことを忘れてしまいそうになる。
あ!そうだった。 僕は彼の経歴を思い出した。
実は木下さん、台湾観光協会発行の『台湾観光月刊』元編集長。台湾の観光スポットやホテル、レストランを長年にわたりインタビューしてきた「取材のプロ」でもあるのだ。台湾の表と裏事情に精通し、酸いも甘いもかみ分けてきた彼の話に僕が引き込まれていくのにさして時間はかからなかった。
そんな木下さんにリードされて、気付けば3時間。取材が終わる頃になると、僕はすっかり彼のファンになってしまった。
受賞しても出版されない!?台湾独自の出版文化に挑む日々
インタビューを振り返って、いまでも鮮烈に残っているのは木下さんのこの言葉だ。
「もし自分が一生懸命やっているフィールドで挑戦したい何かが見つかったのなら、絶対にチャレンジするべきだと思います。やる前から自分には無理と決めてしまうのはもったいない。そもそも、判断するのは自分である必要なんてないんです。でもみんな自分で決めてしまう。「こんなの多分ダメ」だとか、「こんなことができる人は他にいくらでもいる」とか。でもそんなこと考える暇があるなら自分が持っているものをもっと良くしようとか考えたほうがいい」
木下さんが力を込めて話すのには理由がある。
前述の台北文学賞での経験である。
「受賞=出版ではなかったんですよ。出版は後で自分で探してねと(苦笑)確かに受賞はうれしかったけれど、さすがに『本』にならないというのは耐えられなかった」
日本では考えられない台湾の文芸と出版事情に、僕だったら茫然自失となるか、逆ギレしてしまいそうだが、木下さんは違った。
「とにかくどこかの出版社に売り込み行かなきゃって思いました。でも台湾の出版界のことはほとんど知らなかった。名前を知っているのは有名どころの数社だけ。どうしようか悩みました。でも思ったんです。どうせ行くなら、自分が一番いいなと思える出版社に行ってみようって」
心を決めた木下さんはその出版社に直接電話。社長と編集長に直談判し、その間数カ月待たされながらも、受賞作の小説『蒲公英之絮』の出版を実現させた。
「後で聞いたら、その出版社は名門でそこから文学小説を出すのは至難の業らしくて、業界の人に会う度に口々に『よく出せましたね』って(笑)」
いたずらに笑いながら振り返る木下さんだが、チャレンジはこれだけでは終わらなかった。
「出版できたからといって、職業作家の道が約束されているわけではないんです。だから3年くらいかけて実現させようと思ったんです。でも、そもそもまず何をしたらいいかわからない(苦笑)」
日本と同じく台湾も出版不況。職業作家自体も皆無に近いという。そんななか木下さんは出版社の編集者ら業界関係者に「取材」を続けた。
「そうしたらこう言われたんです。『ハードルは高いけど、新聞の文芸欄に何かを書けたら大きいよね』と。今度は小説ではなくてエッセイでした」
そんな木下さんが、サンプル原稿を数本書いて門を叩いたのは、台湾一の発行部数を誇る「自由時報」だった。
「普通はいきなり原稿を持ち込んで(エッセイでは)無名の自分が相手にされるわけないって思いますよね。でも最初の出版の時の経験が生きたんです。自分が本当にいい作品だと思うなら、やれるという自信があるのなら、つべこべ考ずにやってみようと」
そして彼の原稿を読んだ新聞社の担当は言った。
「面白い! 3本使わせてもらいます」
しかし、挑戦はこれでも終わらない。
彼のゴールは文芸欄への掲載ではなく、「連載」だったのである。
「そうしたら、開口一番、空きはありませんって(笑)でもあきらめられなかった」
引き下がらない木下さんに、ついに担当者は「不定期連載なら」とオファーを出してくれた。
彼の情熱が生み出した連載は、後に、コラム集『随筆台湾日子』となって出版されるまでにいたった。同書は、台湾の文芸誌やメディアで絶賛され、大手書店約70店舗で「今月の特別販売本」として大々的にキャンペーンをされるほどの評価を得た。
自分で自分を制限しないこと
心から情熱を注ぐ何かに少しでも自信があるのなら、自分で限界を決めずに飛んでみる──。
取材当日と翌日のまる二日にわたって、食事から宿泊先、観光、果てはお土産の世話までしてくれた彼から、僕は忘れかけていた大切なことを思い出させてもらった(了)
※今回のインタビューは、音声マガジン『コスモポリタン』でもお聴きいただけます。
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プロインタビュアー
早川洋平
新聞記者を経てプロインタビュアーに。2008年、インターネットラジオ番組「キクマガ」をスタート。よしもとばなな、加藤登紀子、茂木健一郎、高城剛ら150人以上のゲストが出演、年間200万ダウンロード超の番組となった。
近年は、ユニクロやネスカフェなどグローバルブランドのCM等にもインタビュアーとして携わる。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューする月刊オーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。世界各国での取材活動に精を出している。
代表をつとめるキクタス株式会社では、企業・機関・個人のメディアを創出するプロデューサーとしても活動。中核となるポッドキャスト配信サービスは、公共機関、教育機関、企業、マスコミ、作家などに広く活用されている。
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