2014年6月25日
会社を売却して
会社をIT企業に売却して、私は久しぶりに上司がいる環境に戻りました。
上司とは売却した会社の幹部であり全員、私より目上の方々でした。
IT企業ということもありいろんな面で徹底していました。
例えば、紙とペンをデスクには一切置いてなかったり、オフィスビルのどこでもWIFIが使えたり、当時としてはよい設備と環境でした。
しかしオプショナルツアーに特化したウェブサイトの売り上げは当初掲げた目標値からは程遠い数字数字でした。赤字垂れ流しがずっと続き、上向きの兆しはない暗中模索の時期が続きました。コンセプトはいいのですが、時代と旅行業界というかなり古風な業界の風土にはすぐには合わなかったような気がします。
だんだん売却した会社の方針と私を含めたオーストラリアでの創業メンバーの考え方が異なり、とうとう再度独立して起業することにしました。
再度起業する
2度目の会社設立は、何が大変かというとモチベーションを上げることが大変でした。
再度オプショナルツアー専門会社を目指してビジネスをオーストラリアで再スタートしましたが、同じレールを再度歩むことは超楽しい道のりではなかったです。
オーストラリアの日本からの渡航者数は減り、周りを取り巻く環境は好転しないで苦戦していました。このまま売り上げの減少に比例して会社の規模を小さくするしかないのだろうか。
売却した会社では世界のオプショナルツアーサイトの構築を目指していましたが、ホットホリデーでもオーストラリアドルだけでなく、ニュージーランドドルを取り扱うことが取引先銀行で出来るようになり、まずはニュージーランドのオプショナルツアーを仕入れ、オーストラリアだけでなくニュージーランドへも販売を広げました、といってもニュージーランドはそれほど人気があるエリアではないので売り上げはすぐには伸びませんでした。
ニュージーランドを皮切りに世界のオプショナルツアーの販売に目標を置き、販路を拡大路線に舵を切りました。まずはアジアを皮切りに自分で足を運んで取引先を探し契約を進めて、ツアーページを作成していきました。
あっという間にツアー商品は以前の倍になり、オーストラリア以外のエリアでも売り上げは出始めました。
商品仕入れではまずはアジアを飛び回りました。
バリでは取引先のオフィスがあると思われる場所にタクシーで降ろしてもらいましたが、回りは見渡す限りの田んぼ。オフィスと思われた住所を再確認したら、多分オーナーの自宅でした。そして運悪くベルを鳴らしても不在でしたので置手紙と名刺を置いて、いざ街に戻ろうにもこんな田んぼだらけの場所にタクシーがいるわけがなくこの暑い中スラックス(長ズボン)にYシャツ姿で途方もなく歩きました。
やっと大通りが見えたときはホッとしました。
南アフリカのジョホールバールではいざアポの日に着替えをしようと思ったら一帳羅の仕事用スラックスが見当たらない!ゆくゆく考えると前日に泊まったビクトリアの滝のホテルのロッカーにYシャツとスラックスを忘れてしまった!
手持ちは半ズボンか黒のジャージ。悩んだ結果ジャージを履いて挨拶に行きました。慣れたものでこんな怖そうな街でも公共機関がない場合はレンタカーを借りるのが常でした。オフィスには予定の1時間前に到着してアポの時間を待ちました。
通常は先方は1人か2人ですが、この日は6名の方が出席していただきミーティングして話がうまくまとまったところで、先方の社長が今度は社員全員を紹介するということで今度はオフィスに通されて15名ぐらいの前であいさつすることに。よりによってジャージ姿で社員全員の前であいさつする羽目になってしまいしました。
ツアー商品仕入れはインターネットで事前にアポを取るのが30%で、その他はほとんど飛び込みです。それも流暢と言えるほどではない英語とボディーラングエージを巧みに使い、何とか取引先を世界各国に増やしています。
ホットホリデー株式会社代表取締役社長
矢澤善夫
神奈川県横須賀市生まれ、城西大学機材学部卒業後、日本の旅行会社に就職し、1994年に渡豪。シドニー、パースを経て、現在はケアンズ在住。
2000年に現地オプショナルツアーを扱う旅行会社をオーストラリアで起業。
2010年より世界各国のオプショナルツアーの販売を開始し、世界の見どころを自分の足を運んで飛び回り中。現在66か国訪問。
経営するオプショナルツアーサイトは現在46か国で展開中で、取扱ツアー件数約4,000件。オプショナルツアー以外にも、ホテル、LCC(格安航空券)の手配も行い、2013年8月に、ドバイ支店開設し、現地では自社日本語ツアーも行っている。
パリ、ハワイなど主要な都市だけでなくアフリカや南米など、ニッチなディスティネーションにも積極的に行き、ツアー情報を収集し、取扱い国、取扱いツアーを、どんどん増やして行きたいと思っている。