2013年12月18日
はじまりは、唐突だった。
2012年11月20日 ベトナムへ出発
ハノイは、若々しく活気のある街。第一印象は強烈だった。
とにかく街には、人があふれていて、若い人が目立つ。活気のある街だ。多くの人は、残念ながら、裕福な生活をしているようには見えない。でも、今の生活を楽しみたいというスタンスを肌で感じる。また、ベトナム語のイントネーションの影響もあるのだろう、彼らの会話自身は、とても元気で、ややもすると、自分には、口喧嘩をしているのか?とすら、聞こえる。この根っからの元気さは、今の日本にはないかもという強烈な印象を持った。
全体的に見ると、1960年代から70年代前半の 今ほど豊かではないが、とにかく元気だった東京にタイムスリップしたような感覚だ。この後、ハノイで出会う数多くの同世代日本人が同じ認識をしていた。埃っぽくて、ごちゃごちゃしているのだが、妙に懐かしさを覚える時がある。特に、旧市街を中心に再開発のされていない地域は、素朴さの中に、古き良きノスタルジーを感じたりする。個人的には、自分が幼少期に育った吉祥寺の雰囲気とでも言うのだろうか。そんな感覚を持った。もちろん、ハノイ西部を中心に、再開発が進んでおり、そのエリアがビジネスや生活の中心になってきている。その古い街角と新しい開発の推進状況自身が、当時の日本とダブルのだ。
ただ、日本との最大の違いは、そのバイクの多さ。交通ルール無視の走りをする人も多いので、かなりの頻度で事故を目撃する。そもそも、無免許で運転している人も多く、交通ルールの徹底が進んでいない。空気も悪いので、正直、家族とともに、赴任をして、ハノイに妻と子供を住まわせたいとは、思えなかったのは、残念なところだ。
文才のない自分には、自分が受け取った強烈なインパクトは、うまく伝えきれないものの、
個人的には、かなり気に入った、一人であれば、滞在できそうだし、この国で仕事をしてみたいという意識を持った。
ライセンス取得関連の打ち合わせへの参加
今回の訪越における最大のイベントは、ビグラセラ社という元国営企業で、土地の権利取得代行を行っている企業との打ち合わせだった。
当方サイドには、今回のC社のベトナム進出に尽力したコンサルティング会社(日本人とベトナム人)も同席。今まで、C社から業務を請け負う形で、ライセンス取得を行ってきた企業だ。
ビグラセラ社は、日本語の通訳はいるものの、ほとんど通じず。英語も、片言だ。こちら側のベトナム人コンサルティングが、英語(ベトミッシュだが)を話すものの、日本語は話せない。日本人のコンサルティングは、英語が少々怪しいと、自分が入らないとコミュニケーションが成立しないという事を、その場で実感した。今まで、どうやってきたのだろう? 予定外だったが、自分が通訳に入り、企業ライセンスのドキュメントの確認を行った(本当にベトミッシュは、わかりにくい)。
正式文章は、すべてベトナム語
ライセンス書類の原本は、すべてベトナム語である。英語と日本語の対訳がついていたので、数字の書いてある部分のみを、その場でチェックした。読み比べると、英語と日本語で、微妙に内容が違う。どっちが正しいのか?を確認していった。本来であれば、この場で、全文確認すべきだったのだろう。ただ、自分が、いろいろ聞き始めると、ベトナム人達が(同席したベトナム人コンサルティングも含め)、露骨に嫌な顔をしてきたこともあり、柄にもなく遠慮してしまった。この日は、自分の立場が不明確だったこともあり、やむなしだが、結果として、ここでの遠慮が、後々、少々、尾を引く。同席する以上、立場をもう少し明確にしておくべきだったと、後日後悔することになるが、それは、次回にでも改めて、お話できればと思う。
ベトナムに進出する場合、ベトナム語をその企業でどう対応するか?が、重要ポイントの一つだ。大企業であれば、ベトナム語の堪能な法務担当社員が、対応してゆくだろうが、中小だと、そこまで社内に人材をキープできない。その際、コンサルティングに、業務を依頼するわけだが、どこまで彼らが、契約等の文章に明るく、英語や日本語に正確で、且つ、交渉力や人脈があるか、これを正確に把握し、業務契約を締結すべきだ。
この件は、設立時のみにとどまらず、企業のオペレーション上も重要なポイントだ。次回以降で 機会があれば、改めて、紹介したい。
企業ライセンス取得完了により、ベトナム法人として、いよいよ活動開始
今回の打ち合わせでは、以下の内容が確認された。
1、土地の企業登記ができるので、土地の貸借費用の支払いをすることで、土地の権利を取得するスタートラインに立て、工場建設がはじめられる
2、企業としてのライセンスが取得できたので、企業コードを取得する。
3、企業印(チョップ)が、政府によって作られ、支給される
そもそも、この上記二つ(2と3)がないと、ベトナムでは、企業活動ができない。
4、企業コードとチョップが揃うことで、ベトナム法人としての銀行口座を、作ることができる。
今回の訪越は、まさに企業ライセンスが取得でき、ベトナム法人としての活動を開始する起点となった。
第1回目は、予告編のようになってしまった。次回は、工場建設に向けての活動を、報告したいと思う。
元某自動車パーツメーカーベトナム法人副社長
石井希典
石井 希典 (いしい まれすけ)
1960年生まれ
1982年日本ビクター(株)に入社後、1990年、ソニー(株)へ転職、20年間在籍したのち、(株)メルコホールディングスに3年ほど在籍。
常に、新規事業を創出するための事業開発、事業企画および、事業運営に携わる。
2013年1月より、とある自動車部品メーカーに入社。現地代表として、単身ベトナムに渡り、工場建設から陣頭指揮し、11月に本格稼働をさせた。一定の成果をあげたことと、家庭の事情により、職を辞し、次なるチャレンジに参画すべく、充電中。