世界のどこかでノマドワーカー 第5回 ギリホリでオーストラリア行きを決意!

代永加世子
 

 決意に至るまで

 

 たしか、ワーキングホリデーという制度を初めて知ったのは、22か23歳の頃でした。勤務先の会社で海外出張に行く機会が数回あり、海外に興味を持ちはじめ、海外で働くことができたらステキだなと思っていました。そんな時、上司がワーキングホリデーという制度を教えてくれたのです。

 「ワーキングホリデー!?なにそれ?働くの?休むの??え?両方出来るうえに勉強もしていいの!?」

 こんな素晴らしい制度があるのに、なんでその時まで知らなかったのでしょう。答えは簡単です。私は田舎育ちで、専門学校に通うために上京、その後4年間は服をつくり続ける怒濤の日々。ファッション以外のことを考える時間はありませんでした。ただ単に視野が狭かったのです。

 

 ワーキングホリデー制度を知った私は、早速資料集めをして、どこの国を選ぼうかと迷っていました。そして、その頃お付き合いをしていた彼に、打ち明けたのです。「1、2年程オーストラリアに行こうと思う」と。

 彼からの返事は・・・。わからなくもありません。付き合い初めて数ヶ月で1、2年間帰国するまで待ってもらおうなんて、虫が良すぎます。その当時の私は、結局行く決心が出来ずにワーキングホリデー(以後ワーホリ)を諦めてしまいました。

 

 その後、ワーホリのことを忘れて働き続けて数年間。30歳直前でコンサルティング会社を退職し、フィリピン語学留学へ。実は、そのフィリピン語学留学が、私にワーホリを思い出させたのです。語学学校にはワーホリの準備として、英語を学んでいる大学生がほとんどでした。そんな彼らと共に過ごしていたら、あれだけ行きたがっていたワーホリに行かなかったら、自分は一生後悔すると感じたのです。

 

 

ギリホリとは

 

30歳の元旦を迎え、目覚めた瞬間に決めました。『ワーホリに行こう!!』と。私の誕生日は3月。31歳を迎える前に、ビザの申請が完了していないといけない。そこからまた情報収集をする日々。本当にギリギリの申し込みでした。

 

 “ギリホリ”とはギリギリのワーキングホリデーの略語です。オーストラリアのワーホリビザの条件は、申請日に18歳以上で31歳になっていないこと。そう、私はまさにギリホリだったです。そして、3月の誕生日を過ぎた3日後にはオーストラリアにいました(笑)。

 

 その他のビザの条件は、最高12ヶ月まで滞在可能で、1雇用主のもとで最高6ヶ月就労可能。就学は最高4ヶ月までとなります。ただし、オーストラリアのワーホリのいいところは、延長が出来ることです。1回目のワーホリで3ヶ月間季節労働に従事した証明があれば、2回目のワーホリを申請することができます。でも、ギリホリの場合は2回目の延長はできません。2回目の申請も、31歳になる前でなければいけないからです。

 

 

ギリホリ出発まで

 

 さて、そんなギリホリ決心から出発までの3ヶ月間、ものすごく慌ただしい日々を送りました。

 

 ノマドワーカーとして働いているので、会社に退職届を・・・という、とくに厄介なモノはなかったので、その点は楽でした(笑)。その代わり、クライアントの方々には、オーストラリアへ行く旨と、環境は変わっても仕事は続けますという意志を伝えました。私はワーホリをしながらも、ノマドワーカーとして働くことを選んだのです。

 

 さらに、役場での手続きでは、住民票抜く海外転出届けをすることで、住民税、国民年金、健康保険料を払わなくて済むようになります。ワーホリでは、ちゃんと働ける保証がないので、収入が不安定ですから、これはワーホリの人にとって、すごく助かると思います。それから、住んでいる家の引き払いで、自分の荷物はトランクルームへ運びました。

 

 そして、私の最大の難関は両親。実家から離れて暮らしている私は、年に1回会えば良い方でしたが、海外に住むとなる話しは別です。ただでさえ、会えずに心配かけているのに、さらに遠くへ行くという娘。もう30歳過ぎているのだから、心配しないでほしいと思うのですが、親の心配は海外に住むということより『海外に行ったら結婚はいつになるの?』という心配なのだと思います。



『初めてのスカイツリーは、両親を説得するので精一杯で観光できてない』


出発前に両親が東京へ遊びに来てくれて、スカイツリーに行きました。スカイツリー展望台のチケット購入で並ぶ間、展望台に登るまでの間、食事する間、すべての時間を説得に費やしました。最終的には両親にも応援してもらい、気持ちよく出発の日を迎えました。

 

 両親には申し訳ないと今でも感じていますが、自分の人生は後悔の無いように、思い切り生きていきたいと思っています。

 



 『出発は美しい桜が咲くころだった』

 
 

代永加世子

ノマドデザイナーinカンボジア
代永加世子

山梨県南アルプス市出身。幼い頃から絵を描くことと洋服を作ることが好き。2000年に上京、服飾専門学校でファッションデザインを学ぶ。 学校の卒業コレクションで《日本繊維新聞社賞》受賞。卒業後、製造・卸メーカーで企画デザインを担当。その後、ブランディングコンサルタントのアシスタントとして活動。そこで学んだブランド戦略を活かしつつ、フリーランスのノマドワーカーになると決意。現在は世界中を旅しながら、デザインと大好きなアクセサリー作りをしている。

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