ど素人がビジネスを泳ぐ! 第2回 サラリーマンにはサラリーマンの世界と言葉がある

平野博勝
 


<勉強しない学生・そしてフリーターに・・>


 前回、せっかく憧れの東京に出て、角帽を頭にのせる資格が出来たのに親父から仕送りを完全に止められて自分の口を養い、寝る所を確保しなくてはならなくなった事について自己紹介を兼ねて書いた。口を養う為には仕事をして金を稼がねばならない、結果①学校に行く時間が全くなくなった。②勉強どころではなく授業に出ない学生となった。③学内のクラブなどに参加しない、だから学友も居ない孤独な生徒となった。④その代り寝る所がわりの名曲喫茶店に多種多様な職業の友人を持てた。

まあ全く勉強しない学生になったのである。時間単価が良く、寝るとこを心配する必要のない仕事ならすぐ飛びついた。夜警、土方の飯場生活、寮・食付きの名曲喫茶店のボーイ、寮有りの運送屋の運転手、青森のリンゴ農園の住み込み手伝い等々である。最後は収入の良いペンキ職人である。

次から次に「食える、寝れる仕事」を換えた事はアトで考えると理由があったように思う。それは・・・

 

<好奇心の強い性格が自分の行動を引き起こした>

 

 子供の頃から好奇心の強さが自分行動を支配していたのではないか?そもそも熊本の片田舎から「どうしても東京に出てみたい!」

「東京にはロマンが渦巻いている!」と東京に憧れを持った事も中高校生時代に乱読した本の中にあった夢のような生活を「自分もやりたい!」である。

  1⃣見たコトの無いモノを見てみたい!

  2⃣行った事のない所へ行つてみたい!

  3⃣ 知らない世界・分野を知りたい!

  4⃣食べた事のないモノを食べてみたい! 

  5⃣やった事のないことをやってみたい!

 

 等々の好奇心に駆られてフリーターをやりながらも世界の歴史や地理、世界の有名人の小説、物理や数学の本などを興味に任せて読み漁っていた。

それぞれの職業にはそれぞれの世界があり、それぞれの言葉(符牒)がある事も知った。土方には土方世界独特の符牒があり、ペンキ屋にはペンキ屋しか知らないペンキ屋言葉がある事も知った。私はフリーターをやりながら様々な言葉(符牒)を理解できるようになった。

しかし、学校の授業に出ないから法学部に入学したけれどヤヤコシイ民法や刑法の事は全く知らない。月謝を払わないから、卒業試験の受験資格がない、しかし自分としてはその頃は早稲田を卒業する気などはトックニに失せていた。しかしある女性の友人が「せっかく大学に入つたのだから卒業だけは絶対しておくべきである!応援するから・・・」と言い、未納月謝の半分ほどを出してくれ、ペンキ屋で少しは金回りが良くなった自分の金とで月謝を完納した。卒業試験の方はその女性がクラスの人間のノートや山勘を聞き出して来て私の尻を叩き勉強させ、何とか合格する事が出来た。ただしイレギュラー卒業の“10月卒業”だった。

 

<卒業後もペンキ屋、そして初めてのサラリーマン生活に入る>

 

ペンキ屋の世話人達が大学生、卒業者の私をおだてて“仕事取り”をやらせた! 私が仕事を取らねば職人とその家族が飢えてしまう。

談合、星取表、など利権配分で成り立つ官庁や大企業などの仕事を下請けとして分けて貰う事、ピンハネされた残りモンの仕事で職人達を食わせねばならない。しかもペンキ屋などは「業者!」と呼ばれ、役所や企業の正門から入れてくれない。営繕課や庶務課のネクタイをした若い社員達はペンキ屋をはじめ出入りの業者を下等な人間として1段下の人種にしか見ていない。言葉はぞんざい!

「あのあまり能力がありそうにないネクタイ族とは一体どういう人種だろう?」「あれでも給料は月毎にちゃんと受け取っている!」

「サラリーマンのような屈従の生活だけは絶対やらない!と決めた私の考えは間違いだろうか?」「サラリーマン生活が一番収入も安定し、休みも取れるし、職人のための仕事取りのようにストレスや心理的負担は無いし、楽かも知れない!」と思うようになった。「その楽そうに見えるネクタイ族の仕事を経験してみようじゃーないか!」

 その頃急激な成長を遂げているヤクルトと言う会社があり、九州に力を入れる事になり九州支店で営業マンを増強することになっていた。

私はヤクルト九州支店のセールス部隊に応募をした。そしてヤクルトのセールスを毎日やるようになった。

一軒一軒家庭を訪問し、「ヤクルトどうですか?」と売り込む仕事である。

学校卒業してからもフリーター生活をしていた私は年齢を食っていた。同期入社の学卒者達は皆私よりかなり年下、同じ年の同僚はみな上司。

なんともチグハグな組織人 ネクタイ族となったのである。

ヤクルトに入り気付いた事。ペンキ屋にはペンキ屋の「世界と言葉」がある。同様にサラリーマンにはサラリーマンの世界と言葉があることである。しかし、初めてのサラリーマン生活をやる私は年を食っていてもその世界のルールや同じ年頃の係長や課長代理などの上司の命令の意味が全く分からない!聞き返すと「大学出ていてそんな事も知らないのか?」とドヤされる始末。

私のサラリーマン生活はこの様に始まった。

 
 

平野博勝

感性空間・オフィス平野元ヤクルト(株)専務取締役
平野博勝

■早稲田大学第1法学部卒業 熊本県出身
就職による“束縛”が嫌で‘プー太郎’として土方やトラックの運転手、喫茶店のボーイ、最後にペンキ職人になる。 今で言う‘フリーター’の草分け?
■メシを食うのにはサラリーマンが一番楽と分かり、ヤクルト九州支店に
「セールス部隊要員」として中途採用される。43年よりヤクルト本社採用になり、各部門、支店業務そして国内ヤクルト販社の経営実務を体感学習していく。
■経営危機に陥入つたフィリピンヤクルトの再建のため
経営執行副社長として経営の立て直し業務に入る。以後各国のヤクルト事業の再建や世界各地での新規事業所設立を手がける。ヤクルトの“再建屋”の異名を頂戴する。
■ヤクルト本社 59年取締役就任、61年常務取締役就任
以後ヤクルトの国際事業を統括しながら海外各地に事業所の新規設立を進めたり既存事業所の経営改革をする。
■海外現地法人の社長、会長などを歴任。
■ヤクルトの‘世界ブランド化’‘世界企業化’戦略を進める。
■平成15年(株)ヤクルト本社専務取締役国際事業本部長を退任
(株)ヤクルトライフサービス代表取締役社長、(社)日本マーケティング協会
常任理事などを歴任。大学や企業の経営者研修や経済関連団体での講演などを行う。
■平成16年 アジア人として初めて仏食品大手であるダノン本社の社外取締役に
就任。年6回程パリの取締役会に出席する。ついでにヨーロッパ各国の人達に日本の経営や文化、ヤクルト哲学などについてレクチュアしたり議論し合う。
■平成20年 全ての職を辞し、「感性空間・オフィス平野」を設立。
いわば「頼まれごと引受業」として様々な大学で講演講義をしたり、企業の経営相談に乗つたりして現在に至る。

[好きな事] 
列車など乗り物に乗り。ビールやワインを呑みながら、その国の美味を肴に 外の景色をボケーッと眺めている事は最高である。だからヨーロッパでは飛行機を使はず、列車のみを使う。
また休日は寝転がり、煎餅を齧りながら、音楽を聞きながら、本を読みながら、いつの間にか寝てしまうことに‘人生の充実観’を感じる。

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