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世界は身近にあるもんだ ~国歌研究家 日本で海外の魅力を探す~ 第2回

起立しないのは不敬か ~インド ムンバイ~

国歌研究家 国歌の輪プロジェクト代表 浅見良太

 

ボリウッドの本場 ムンバイで起こった国歌起立問題

インド西部の都市ムンバイ。商業都市として世界的にも知られたこの街の映画館で起こった事件がインドにとって”国歌とは何か”という議論に発展してます。


インド門とインド屈指の高級ホテル”タージ・マハル・ホテル”がある

インドの映画館では映画放映前に国歌『ジャナ・ガナ・マナ』が流れます。その際当たり前の様に立つ人々の中に起立しない家族がいました。

それを不満に思った人々が家族に映画館から出て行くように詰め寄り家族は出て行くことに・・・その様子を見て拍手をする者まで。その動画がネットで一気に広まり議論を巻き起こしていて、そもそも映画館で国歌を流す必要があるのかというところまで話が発展しています。

2008年、インドに行った際映画館に入りましたが国歌は流れませんでした。流すか流さないかは映画館の判断で行っているそうです。そう考えると結構ゆるいのかなぁ~とも思います。

動画を見た人たちの意見も割れていて、追い出されるのは当然だという人もいれば、立つか立たないかは自由のはずだという意見も。

日本でも『君が代』斉唱時に立つか立たないかで度々問題になりますね。

インド憲法が定める国歌

インドの憲法ではどうなっているのでしょうか?

インド憲法では国旗や国旗を尊重することが国民に義務付けられています。しかし侮辱行為として国旗を引き裂いたり、改ざん、冒涜、燃やすなどは書かれていますが起立が義務付けられているわけではありません。

インドでは過去にも国歌に関して事件がありました。例えば、学校で国歌を歌うことに拒否したエホバの証人の信者が追放されるという事件がありました。

しかし最高裁判所はこの追放が言論や宗教の自由に反するという判決を下しています。多民族国家インドでは様々な価値観を受け入れなければ国が成り立ちません。

ですから今回の事件もインド憲法と照らし合わせれば無罪なわけです。映画館が彼らを追い出したことは間違いだったのかもしれません。

とは言っても国歌というのは人々の思いがこもります。

”憲法には書かれていない”というだけで片付けられる問題ではないのかもしれません。

実はもう一つこの国歌が抱えた問題が関係しているのかも・・・

ヒンディー教とイスラム教の対立

報道の仕方も問題になっています。

この立ち上がらなかった家族はイスラム教徒でした。あえて”イスラム教徒の家族”と報道する意味はあるのか。

確かに国歌斉唱時の起立の有無だけが問題であるならば関係ないでしょう。

しかしインド国歌『ジャナ・ガナ・マナ』が宗教対立の問題を抱えていることを考えると、この報じ方は仕方がないのかもしれません。

ヒンディー教徒とイスラム教徒の対立は建国以前からありました。インド独立時、多くのイスラム教徒がパキスタンに移り住んだのもそういった理由からです

アジア人初のノーベル文学賞受賞者タゴールが描いた歌詞にはそういった問題が表面化しないような配慮が見られます。特定の民族や宗教に言及する部分はなくインドの国土を讃える内容になっているんですが、それでも議論が起こります。

歌詞冒頭の「御身は全ての民を支配する者」という部分。

”御身”というのはどこの神なのか。

タゴール自身は何かに特定されない超越した者として描いたと言われていますが、ヒンディー教徒とイスラム教徒の間で問題になります。家族を取材したわけではないので憶測になりますが、もしかしたら”御身”という部分を受け入れられず立たなかったのかもしれません。

いずれにせよ国歌が流れた際立たなかったことを不快に思うことはあっても、人前で罵倒し公共の場から追い出してしまうという風潮があるというのは残念でなりません。

しかもムンバイは商業都市であり国際都市です。筆者が言った時、市内は活気であふれマックなどの外資の飲食店も多くありました。今でもインド限定のハンバーガー”マハラジャバーガー”の味は忘れられません。

そんな街でこのような事件が起こるとは・・・

寛容な社会であってほしいというタゴールの願いの逆をいく行為です。

国歌を歌わないことは国に対して不敬か

”国歌を歌わない” ”斉唱時起立しない”=国に対する不敬
これは本当でしょうか?

アルトゥーロ・トスカニーニという偉大なイタリア人指揮者をご存知ですか?

彼は1867~1957年という時代を生きた第一次、第二次世界大戦経験者です。国際的にも有名な指揮者で信念を貫いた人物として多くの逸話があります。

第二次政界大戦時、独裁政権を築いたムッソリーニに抵抗し演奏会の際には必ず国歌と党歌を流すよう催促されましたが断り続けました。すでに国際的な知名度があったとはいえ、一党独裁の国での抵抗が大変であったことは想像に難しくありません。

時には、その行動に反感を覚えた党員に路上で囲まれ暴行を受けることがありましたが一度も屈しませんでした。のちにイタリアでの活動が難しくなりアメリカに拠点を移した際はアメリカの戦債を集めるためのコンサートを開きファシストと戦い、戦後はイタリアの劇場再建コンサートをしたりと母国のために尽くしました。

彼は戦時中、国歌を演奏しませんでした。彼は不敬なのでしょうか?

僕はそうは思いません。彼は真の愛国者だからこそ演奏しなかったのではないでしょうか?

愛国心というのは強制から生まれるものなのでしょうか?

今回の騒動
皆さんはどう思いますか?

 

浅見良太

国歌研究家国歌の輪プロジェクト代表
浅見良太

埼玉県出身。テレビ番組制作会社を経て現職。
大学2年の時、ヒッチハイクで埼玉~屋久島間を19台乗り継ぎ往復し、自分の知らない世界に触れ、様々な人に出会える旅の面白さを知る。
2007年、初めての海外旅行でインド・ネパールを1ヶ月周ったことをキッカケに就職するまでにバックパッカーで計30カ国を訪問。
旅中、出会った人に出身国の国歌を歌ってもらい、それをボイスレコーダーで録音する“国歌録音活動”を始め、数多くの国歌を収録。国歌の奥深さ、面白さにはまる。
2010年、名古屋の東海テレビプロダクションに入社。情報番組、バラエティ番組、スポーツ番組などでディレクターを務める。同社在社中も仕事の合間をぬって国歌録音、執筆活動を継続。

2015年に退社後、”国歌研究家”として「国歌を通じた国際交流」の普及を目的に、国歌に関する執筆活動や講演、イベント運営などを行っている。
同年4月、国歌を通じた国際交流の普及を目的とした団体「国歌の輪プロジェクト」を立ち上げ、代表を務める。