海外ビジネスに関連するコラム

世界は身近にあるもんだ ~国歌研究家 日本で海外の魅力を探す~ 第14回

“シルクロードの心臓”を目指すトルクメニスタンの今

国歌研究家 国歌の輪プロジェクト代表 浅見良太

 

トルクメニスタンの名を今後様々な場所で聞く事になるかもしれない。

筆者は今回のインタビューで中国から始まるヨーロッパへの一路一帯構想が着実に進められ、将来巨大な経済地域になると確信した。その中の重要な役割を担うトルクメニスタンは確実に国際的な存在を強めていくことだろう。残念ながら日本において同国の情報に触れる機会は少ない。

そこでトルクメニスタン大使館アタッシュのセルダール アンナグリジョフ氏にトルクメニスタンの魅力や経済などの今を伺った。


イケメン外交官です

 

―日本について思う事は?―

日本はとても大きなポテンシャルや経済力を持っていると思いますし、私自身日本から多くのことを学ぶことができると感じています。ありがたいことに、トルクメニスタンと日本の間には特に目立った政治的な問題がなく、経済的にも日本の投資家や企業が進出しています。これはとても喜ばしいことです。

また、日本人は礼儀正しく印象がとてもいいです。私を騙そうとした人に会ったことがないのでとても信頼できる人々だと思います。そして親切な人が多く、私自身道に迷った時など多くの日本の方に助けてもらったりしました。

 

―トルクメニスタンについてよく知らない人のために貴国をご紹介いただけますか―

トルクメニスタンは新しい国です。1924年にソ連邦が成立してから1991年に連邦が崩壊するまでトルクメニスタンは連邦の一員でした。1991年の独立から今日に至るまでそこまで長い年月が経っていないので、物知りな人であってもトルクメニスタンのことをよく知らないのは無理がないと思います。

地理的には中央アジアに位置した国で・・・そうです、「スタン」で終わる国々が集まっているあのエリアです。地政学的にとてもいい場所に私たちの国が位置していると思っていまして、実際、今年の標語は「トルクメニスタンはシルクロードの心臓である」なのです。西側にはカスピ海が面し様々な貿易や物流の機会があるのと、ロシア、インド、中国など強大で大きなマーケットを持つ国、またウズベキスタン、カザフスタン、アゼルバイジャン、イランなど様々な国と近いことは大きなポイントです。

人口の割に大きな国土を有していまして、人口密度は低い状態にあります。実際のところその国土のほとんどがカラクム砂漠で占めているというのが大きな特徴です。カラクムを直訳すると“黒い砂”という意味です。同砂漠は世界でも最も乾燥している砂漠の一つですが、そのことは国内の大きな部分が農業などの用途に使うことが難しいということを示しています。そのため、政府は砂漠の砂を精製し、そこから化学的な物質を取り出すという取り組みを始めています。

 

―永世中立国を宣言していると聞きました―

1995年に国連加盟国185カ国から承認され、その後の国連の決議によりトルクメニスタンは永世中立国として認められることとなりました。

ただし「ただの中立国」なのではなく、とても「ポジティブ(能動的)な中立国」なのです。例えばアフガニスタン政府とタリバンとの紛争が起こった時もそれを解決しようと様々な手段を私たちの国が講じたり、タジキスタンが革命の勃発によりに苦境に立った時もできる限りの支援を行ったりしています。そうした行動の裏にはトルクメニスタン人が歴史的に平和をとても重視し、支持している人々であるという背景があるためなのです。この中立性はスイスやオーストリアなど他の中立国にはないトルクメニスタンの大きな特徴であり本当に重要なものなのです。

 

 

―国旗も独特ですが意味は?―

まず左側の赤いラインの中に描かれた5つの絨毯ですが、これは5つの民族を表しています。上から順に Akhalteke、Yomut 、Salyr、 Chowdur 、Arsary 各部族の文様です。5つのパターンはそれぞれに絵のように美しく魅力的であるのと同時に、それぞれに違った意味を持っています。例えば、一番下のパターンは「防衛」を意味しています。描かれているこのHのようなものが実は城であり、敵からの「防衛」についてを描写しているのです。

国旗の細部は何度か変更されており、1997年には赤いラインの中のオリーブの枝のリースが追加されました。これは「永世中立国」であることを示す目的から付け加えられたものであり、オリーブには永世中立を意味する他に国家の平和の意も込められています。

また、2001年には国旗のサイズと色の変更等が行われました。これまで旗の縦横比が1:2だったものを国連におけるスタンダードサイズである1:1.5に変更し、色についても国連で決められているカラーコードに沿った色に変更しています。

 

―大使館にとっての一番のミッションはなんですか?―

経済的な面で言えば、トルクメニスタンでの日本企業のポジション拡大や日本におけるトルクメニスタン商品のプレゼンス向上などに力を入れています。そのために我々は日本とトルクメニスタンにエコノミックコミュニティーを設けており、それがよく機能しているのではないかと思います。去年は12の経済ミーティングを開催しましたし、今年もうまくいけば最大で13ほどのミーティングを開催する予定です。

 

政治・経済など担当分野は多岐にわたる

 

―貴国の経済状況を教えてください―

経済状況は全体的に安定しています。今日のトルクメニスタンで特に見込みのある産業は織物産業、化学産業、石油産業、観光産業などです。2016年の経済成長率は6.2%であり、2017年の半期は6.5%と大きな数字を記録しています。伝統的には織物産業や化学産業などが主要産業の中心でありそれら産業が特にフォーカスされがちでしたが最近では特に観光や農業製品の輸出などにも力を入れ始めています。

また、周辺国を巻き込んで「シルクロードを再建しよう!」という掛け声のもと各種国際的なプロジェクトが計画されています。

例えば、100年規模で約7000㎞のガスパイプラインを敷設するというとても壮大なプロジェクトですとか、中国からカザフスタンやトルクメニスタンを通ってイランへと通じる鉄道敷設プロジェクトなどが計画されています。また2015年に30年規模での完成を見込んで建設が開始された「タピ・パイプライン」と呼ばれるトルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドを通るガスパイプライン敷設プロジェクトなどもあり、実はその一部分の敷設を日本企業が行っていたりします。

現在ではまだまだトルクメニスタンと周辺国との交通網やパイプラインが脆弱であり大きな課題の一つですが、これらプロジェクトが成功すれば非常に大きなものをもたらすと考えています。

 

―トルクメニスタンの製品で何かオススメはありますか?―

織物産業が盛んな影響からコットンの生産量が多く重要な輸出品の一つです。

そして絨毯ですね。絨毯はトルクメニスタンにとって古の時代から伝わるとても神聖なものであり、ハンドメイドのためクオリティーがとても高いです。私たちは日本にトルクメニスタン商品を販売するためのトレードハウスを設立しようと試みていますが、もし設立できたら絨毯が中核商品となるでしょう。ただし残念ながら一般的には絨毯というとペルシャ絨毯がやはりとても有名で、私がイランにいた時もトルクメニスタン製の絨毯なのにペルシャ製(イラン製)として売りに出されているのを見たことがあります。このように、トルクメニスタン製の絨毯がペルシャ絨毯と混同されてしまうことがよくあります。

また、ミントや蜂蜜はトルクメニスタンの特産品で、それらを商品として外国に輸出することも多いです。

 

―日本とトルクメニスタンの貿易の課題は?―

トルクメニスタン大使館は2013年に設立されたばかりで、そこからまだ数年しか経っていないことが一番の問題だと思います。私たちが貿易の促進に取り掛かり始めたのが本当に最近ですし、物事を根付かせるのはやはりどうしても時間がかかりますからね。

また、日本とトルクメニスタンの距離が遠いことも一つの原因だと思います。日本からトルクメニスタンへの直行便がなく、トルコや韓国などで少なくとも1回は乗り換えないといけません。

 

―まだ取引量が少ない日本との貿易を促進する取り組みはありますか?―

輸出促進の面では、よりクオリティーの高い製品を作るように試みています。輸入の面では、地元の企業や市場に販売を促進するように働きかけを行っています。ご存知の通りトルクメニスタンは新しい国ですが国ができた当初は製品の質が低く、国際的にも通用するような質の製品がなかなかありませんでした。ですが日本などの国との貿易の経験を通じて徐々に国際的な貿易競争に必要なものがわかってきたところでして、その点ではトルクメニスタンは成長中・発展途上にあり、より国際的に通用するようなクオリティーのものを作っていけるようにしたいというところです。

 

―投資促進に関する取り組みも教えてください―

外国からの投資家・企業家にとって働きやすい良い状況をつくれるよう努力しています。例えば、経済特区を作って税金の免除やオフィスビルディングの賃貸料の割引などを行っています。

トルクメニスタンはとても安全な国であり大きな魅力を有する国ですが、知名度が低い点が大きな問題です。多くの人がトルクメニスタンについての知識を持っていないのですから、知らない人に対して投資やビジネスの呼び込みを行うのは本当に難しいのです。そのため、ビジネスマン向けにトルクメニスタンについて知ってもらうため、経済セミナーを定期的に開催しています。実際にトルクメニスタンを訪問した方や経済セミナーに参加した多くの方はトルクメニスタンに対して投資をしています。それはトルクメニスタンが経済面、経済成長面、治安面、政治面でとても安定しビジネスをしやすい国であるという事を証明しています。トルクメニスタンの知名度を上げることができればより多くの海外からの投資を呼び込めるということを表しているのではないでしょうか。繰り返しになってしまいますが、トルクメニスタンをよく知らない投資家や起業家にトルクメニスタンの投資面での魅力やビジネス環境の良さについての情報を提供する機会を設けることが本当に重要なことであると考えています。

 

―先程、観光産業も成長していると仰っていましたね―

日本人の方々にオススメしたいのがDarvaza gas craterです。私が知る限り、全てのトルクメニスタンへの日本人旅行者が訪問していると思います。直径60メートルのガスクレーターが燃えている壮観な景色が広がっている場所なんです。1971年にUSSR(旧ソ連)が新たな地下天然ガス油田を探してドリルで地面を掘っていた時に弱い地盤のところに当たってしまいクレーターができてそこからガスの噴出されたんですね。そのクレーターから出たガスが至るところで爆発を起こしてしまうことがわかり、この場所に炎を投下し、ガスを火に変換させることにしました。それ以来ずっとこのまま燃えつづけています。

都市で言えば、カスピ海に近いアワザがいいですね。世界のビーチに引けを取らない観光地にしようと40億USドルもの大きなお金を投じて観光地としてのインフラやホテル整備を進めている注目の場所なのです。サーフィン大会などを誘致して開催することで外国人観光客を呼び込もうとしているのできっと楽しく過ごせると思います。

南部にあるメルヴは2000年以上の歴史を有する場所であり、古の時代の城が残っているのでとても興味深い場所です。

また首都のアシガバートは最も白い街としてギネスブックに登録されています。白い理由は建物が全て大理石でできているからです。また、最も高い場所にある放送局と世界で最も大きいエンターテイメントセンターがあり、いずれもギネスブックに登録されている興味深い街です。首都のアシガバートに近いニッサ城も有名な場所でして、そこにはペルシャ帝国の影響を受けた古代文明の首都だったことから興味深いモニュメントなどが残っています。彼らが広大な領土と大きな城を有していたことに驚かされますし、考古学的な調査がいまも行われていたりします。



Darvaza gas crater



国を挙げてリゾート開発を進めているアワザ



首都アシガバート



ニッサ城

 

―観光の課題点は?―

日本にトルクメニスタン観光のパートナーとなる旅行業者がとても少ないですし、その逆も然りでトルクメニスタンにも日本観光のパートナーとなる旅行会社が少ないです。日本の旅行会社もパートナーシップがないことやコンタクトを取れるトルクメニスタンの旅行会社がないことを常に課題として挙げているので我々は観光に関して日本の旅行会社となんらかの提携を結んで相互に協力関係を築けるようにしていけたらいいなと思います。その中でトルクメニスタンが観光面でいかにユニークであるかというPR等も行いより多くの観光客を誘致していけたらいいなと考えています。

 

―最後に日本の企業に向けてメッセージをください―

より多くの日本の投資家や企業にトルクメニスタンに実際に来てもらいたいですし、トルクメニスタンの実情をよく知ってもらうためのミーティング等へ参加していただけたら嬉しいなと思います。我々も日本企業がトルクメニスタン企業とより緊密なパートナーシップのもと仕事ができるよう環境を整えていきたいです。もしトルクメニスタンいついて何か質問・疑問があれば私たちはいつでも問い合わせに回答できる準備ができていますのでぜひ気軽に大使館に来て問い合わせていただければなと思います。

私たちは日本政府や日本企業と将来に向けて良い協調関係・協力関係を築いていけると確信しているので、そういった関係が築ければよりトルクメニスタンについてより情報提供を行っていくことも可能になると思います。

とても気さくで質問に対し丁寧に答えていただいた

 

浅見良太

国歌研究家国歌の輪プロジェクト代表
浅見良太

埼玉県出身。テレビ番組制作会社を経て現職。
大学2年の時、ヒッチハイクで埼玉~屋久島間を19台乗り継ぎ往復し、自分の知らない世界に触れ、様々な人に出会える旅の面白さを知る。
2007年、初めての海外旅行でインド・ネパールを1ヶ月周ったことをキッカケに就職するまでにバックパッカーで計30カ国を訪問。
旅中、出会った人に出身国の国歌を歌ってもらい、それをボイスレコーダーで録音する“国歌録音活動”を始め、数多くの国歌を収録。国歌の奥深さ、面白さにはまる。
2010年、名古屋の東海テレビプロダクションに入社。情報番組、バラエティ番組、スポーツ番組などでディレクターを務める。同社在社中も仕事の合間をぬって国歌録音、執筆活動を継続。

2015年に退社後、”国歌研究家”として「国歌を通じた国際交流」の普及を目的に、国歌に関する執筆活動や講演、イベント運営などを行っている。
同年4月、国歌を通じた国際交流の普及を目的とした団体「国歌の輪プロジェクト」を立ち上げ、代表を務める。